2009年9月9日水曜日

藤沢周平のこと


おはようござます。

田辺聖子さんの藤沢周平の尊敬ぶりは相当なもので、このように褒めっぷりがすがすがしい。

楽老抄:ゆめのしずく:田辺聖子より

田辺聖子さんが昭和四九年頃に私の故郷は山形県鶴岡市で講演会があったときに、藤沢周平に出会っている。
その時「すべってころんで」という本をだして、そのときの挿し絵の斉藤真成画伯だった。この斉藤画伯が鶴岡は「あれはよいまちでありますよ」という自慢なさったまちをモデルにした。ほんとうに典雅で品のいい美しいで私もたちまち好きになった。
講演会のあとの宴に、藤沢さんとひとこと、ふたこと話を交わした。鶴岡に関することだったと思う。私が黙ると藤沢さんはいつまでも黙っておられた。しかしそれは無愛想にも不機嫌にも思われず、つねにやわらかい和気が幾重にもの波となってこっちに押し寄せてくる、という感じであった。宴がすすんで、地元のことゆえ、旧知の人々が次々に藤沢さんを囲んだ。藤沢さんは微笑を浮かべ、その都度、髪がはらりと垂れるほど、丁寧に叩頭をされ、ときには叩頭も忘れて、おお、とあべこべに身を反らせる知己もあった。ふるさと皆有情、見ていてもたのしくなる雰囲気だった。謙抑※であり、情の濃さは抑えようもなく匂いたつような、藤澤さんのたたずまいだった。
藤澤さんの作品の登場人物には謙抑の芯と、情の濃さと感じるように思った。この2つは相反するようだけれども、人間がもっていなければいけない核のような気がする。それは日本民族の郷愁のようなもので、藤澤さんのお作品(おをつけています)を多くの人が好もしいと思うのは、日本民族の佳さを人々が失っていない証拠である。藤澤さんの一番好きな作品では「一顆の瓜」です。これはお家騒動とき大活躍をした侍二人、いくら待ってもご加増とか、ご褒美の沙汰がでない。そのうちご家老から真桑瓜が1個ずつおくられてくる。冷やして一家で食べ、それはそれで美味だったが、しかしその後もとんと音沙汰がない。あの瓜がご褒美だったのではあるまいな、と侍二人は首をかしげあう、というもの。いま読んでもやはりたのしいわらいがホノボノと読者を包む。藤澤さんのお作品は人のウッカイをほぐすような明るさと暖かみがあるが、それは氏が人しれず隠し持っていられるユーモアやお茶目なこころから出るのであろう。藤澤さんの訃報を聞いて92歳になる私の老母は、あの一緒にいった鶴岡で宴にも同席の招待されていたので、たったいっぺん、あの席でお目にかかっただけのご縁ながら<物静かな佳えおひとやったのに・・・>と悲しんだ。”佳えおひとやった”と何十年もの間記憶されるようなお人柄から、あの物語りこの物語が紡ぎ出されたのだ・・・・・と思ったりした。

※謙抑:へりくだって自分をおさえること。「常に―を心がける」

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