2009年9月21日月曜日
思い出
おはようございました。30年前に住んでいた松戸市の馬橋駅付近までいってきました。住んでいたマンションや近くにあった消防署以外はほとんど変わっていましたが、
それでもいろんなことを思い出しました。生まれて満州の新京(長春)もいってみたかったのですが、手がかりは都市名以外にほとんどありません。住んでいた住所の足がかりが掴めれば一度いってみたいものです。
A-yan Tokyoの「震災が残したもの」 金 音田 1995年5月15日
阪神淡路大震災が1年経過し、ボランティアのSVA神戸事務所は寺を転々とし、長田区御蔵地区に提供されたプレハブに移転していた。
聞くところによると、そのプレハブは自動車部品販売会社「兵庫商会」を経営していた田中保三さんが提供してくれたのだと言います。田中さんは、震災のあと会社の建物と商品のほとんどを火災でなくし、その被害総額は約2億円にものぼっていたといいます。でもフランスから取り寄せたという頑丈なコンテナを組立て作った仮社屋でなんとか商売を再開させる一方で、震災直後にはプレハブを4棟ほど建て、ピース・ボートという団体や私たちSVAのボランティアのための事務所と宿泊施設を無料で提供してくれていたのです。
田中さんは朝日新聞の記事のなかでこう語っています。「ボランティアたちが集まっている場所を訪ねると、中心になっている若者が、忙しい仕事をこなしながら、笑顔をたやさず、用向きを丁寧に聞いてくれた。そのさやわかな笑顔と物腰で」なんともいえぬ安心感に浸ることができた。俺にないものがこいつらにはある。それまでは、これ売ってなんぼの生活やった。若者にあって、その生活は違うな、と痛切に感じた。
「こどものころは神戸はよかった」と、少々感傷的に」なりながら「夏は須磨海岸、秋から冬、そして春には高取山や須磨アルプスを駆け回り、アケビをとったり、ヤマモモの実をもいで遊んだ。イチジクやびわ畑のひろがる山腹の風景が、自然と密着した生活体験が、阪神大震災でよみがえってきたのかも「しれんな」と。
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