2009年9月14日月曜日

落下の2種類


おはようございます。花屋さんが喫茶もやっている「夢空間」にたち寄ったら、テーブルにバラが置いてありました。葉も青いので、このバラは青色に染めたのか、青い水を吸わせたのですかと聞いたら
今朝着いたばかりですが、そのもの色ですとの説明でした。本当にこういうバラがあるのですね。

「落とされた」と「落ちた」
文部省の主催する「洋上研修」というのがあって、これは新任の小、中、高の教師で全国
から選ばれた人を対象として、豪華船にのって寝食をともにしつつ研修するものであった。(今でも続いているかどうかは分からないが、豪華船とあるのでバブルの時ではなかったのか)

講師は元広島カープで「鉄人」といわれた選手で衣笠祥雄さんである。
自分の体験を踏まえ、実に迫力のあるものだった。その話のひとつは選手になって3年目、期待に反して2軍選手として登録されたときのことである。
もちろん残念に思ったが、そのとき衣笠さんが気がついたのは、1軍から2軍に「落とされた」と思っている人と、「落ちた」と思っている人がある。「落とされた人」は必ず弁解があるし、時には恨みもある。自分は1軍にいるべきなのに、というのであれこれ言いたてながら、1軍に「あげてもらう」のを待つ。どこかで頼むことになる。
これに対して、「落ちた」と思っている人は、2軍に落ちている間になすべきことを、自分でよく知っている。「投球フォームがバラバラに」なったので立て直す」という選手もいるし、打者は打者で自分にとって課題をよく知っていて、それに取り組んでいる。なぜ落ちたかとかんがえることは、何をなすべきかという課題を見つけることになるし、努力の目標がある。
衣笠さんが多くのことを話されたが。ひとつの大きいポイントは「目標」をもって努力することがいかに大切かということであった。目標なしにただ頑張ろうでは、努力のカラマワリになるということでした。
2軍に落ちた衣笠選手は、自分の打球の「飛距離をのばす」という課題に取り組み、1年間の努力の結果、1軍にあがり、後は栄光への道を歩んで行く。一朝一夕のことで道が開かれるはずがない。
日本のことでも、二軍落ちになった日本人は「個性を尊重する」「個人の能力を最大限に伸ばす」ことだと思っている。これまで、日本人は全体として力を発揮することに成功してきた。しかしこのような在り方は、個人、とくに傑出した能力を持った人をおさえる形でなされる傾向が強かった。個人主義と利己主義の区別がつかなかったのだ。この点を自覚して子供の個性を伸ばす努力を重ねていくと、遠回りのようだが日本はしっかりした足腰をもって一軍で活躍できることになるだろう。

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