2009年9月18日金曜日

頑張る姿


おはようございます。ノウゼンカズラが咲き終わったら、その下のほうから長い萩が手足をのばしています。よくあれだけの太さでもほどよく流の枝をたらしています。
珠玉編〕心にしみるいい話:第2集残された人

ありがとう、溝口  菅原順子(教員・32歳・仙台市)

溝口という生徒は、小柄でぽちゃりした、おさげ髪の女の子だった。
運動には縁がなかったようで、中学一年生としての走力、跳力、投力、が残念ながら身についていなかった。
走り高跳びをすると
バーの近くで止まってしまう。バレーボールをすると、ボールの落下地点に到着したときはすでにボールは地面に落ちている。顔面でレシーブしたこともしばしばあった。壁倒立の場合でも同じ。腕でささえきれず頭を打っても、手をひねっても、練習を続ける。周りが次々壁倒立ができるようになっても、結局中1、中2と努力した壁倒立は完成されぬまま、転校していった。溝口にできるようになる感動を味わわせた買った。結局何も教えてあげられなかったと後悔した。
そしてそのうち私は結婚し、妊娠し産休に入った。初めて子供と対面し感動し、幸せだった。しかし、そんな日々は長くは続かなかった。赤ん坊がおっぱいを吸ってくれない。
泣いてしまうと吸わせるどころでなく、おろおろするばかり、母乳で育てたいと思っていた私にはとてもショックだった。何日たっても事態はかわまかった。あせる私を横目に後から入院した人がどんどん母乳をあげるようになっていく。自分でも平成ではいられなくなっていた。情けなさと悔しさで夜もベッドで泣いた。
そんな時ふと頭をよぎったのが溝口の姿だった。どんなにできなくとも溝口はあきらめなかったじゃないか。溝口はいつも一生懸命だったじゃないか。頭に溝口の姿が浮かんでか、赤ん坊に泣き叫ばれても、おっぱい拒否されてもへこたれなくなった。
「今日がだめでも明日がある。また頑張ろう」と思えるようになってきた。それでも涙が出る夜は「溝口に負けるな、溝口に負けるな」と呪文のようにつぶやいた。
結局母乳をあげられないまま退院。「いつか母乳をあげたい」と思い続けて、おっぱいを吸わせる練習はやめなかった。
1ケ月後赤ん坊に吸う力がついたおかげでついに母乳を飲んでくれた。あきらめずにおっぱいを吸わせ続けることができたのも、できなくともあきらめずに努力し続けた溝口の姿だった。溝口の孤独だった痛みも同じ立場になってやっと分かったことだった。そしてそういうつらさを乗り越えて、逃げずに頑張る姿は何度も何度もマットや跳び箱に向かっていった溝口がどんなに素晴らしかったことか。私は体育の苦手な溝口にいろいろ教えていたけれど実はもっと大切なことを教えてもらったいたのは私だった、それもなにげなく、しかも心の奥深くに。

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