2009年9月27日日曜日

鑑真和上


おはようございます。 西東京市にある東京大学の農場があり、そこの乳牛舎が貴重な建物であることが認識され、市民が保存運動に参加し修復されました。ここで桶を水田に見立てて稲作の刈り取りでした。
ここで指導されている米川准教授は実地を重視するかたで、鎌の動かし方、束ねかたなど御百姓さんそのもままの実演で、小気味よい作業に見えました。

仏像と仏師の話:久野 健  学生社より

東大寺の大仏の開眼が行われた天平勝宝4年の2年後に唐僧鑑真が日本に到着します。東大寺の大仏ができていながら他方まだ仏教は、国際的には認められるには正式の受戒をうける必要があった。ところがそれには三師七証という正式な資格をもった僧侶の立合人が必要だった。そこで聖武天皇の天平5年(733年)にどうにかしてこの資格を持った高僧を呼んでくることが命令された。向こうの官憲にとめられたり、難破したりしてようやく10年も経過し6度目に沖縄の那覇に鑑真和上が到着したことは有名な話です。

天平勝宝6年(754年)に大仏殿の前で日本初めての受戒が行われた。
ところが鑑真は当時東大寺の唐禅院に住んでいたのですが、鑑真を誹謗する人がいて嫌気がさして、ここを出ました。当時道鏡の事件をみても、仏教界では真摯な状況ではなかった。そこで新田部親王の土地をもらってたてたのが唐招提寺だった。しかし何といっても手狭で立替の平城京の傷んだ朝集殿の建材をもらい受け、建てたのが今日の講堂で、鑑真がいきていたころはこの講堂と僧坊と雑舎ぐらいしかなかったろうと思われるそうです。
鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えた。また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。

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