2009年9月11日金曜日

報道の役割①


おはようございます。診療内科などの医師は産婦人科の成り手が少なくなっているとか問題になっているが、昔から不足していて、患者は相談時間をながくとってもらいたいが、診察時間が分刻みなのだそうですね。
診療後に携帯電話で状況を教えてくれるなんて、やはり親切な医者ですね。

平和への思い感動ストーリーズの9
広河隆一:戦争を見つめ続けて

広河氏は早稲田大学卒業後、ドキュメンタリー写真を撮るサークルを立ち上げた。初めて撮影したのは盲学校に通う生徒たちの職業訓練や授業の様子だった。出会った少女が描く絵に心揺さぶられた。
その絵は眼の大きな女の子がかかれていた。学生運動もやっていたが、卒業後一冊の本ユダヤ人の国・イスラエルの歌い文句は『平和に平等に暮らす生活共同体・キブツ』という理想社会であった。
いったい苦しみ抜いたユダヤ人が一体どんな国をつくったのだろうと『キブツ』に渡って体験することに挑戦した。
『キブツ』で暮らしはじめて2週間後。ユダヤ人とイスラエル周辺のアラブ諸国との戦争が始まった。懸命に前線で塹壕掘りまで手伝った。
やがて戦闘もおわった。ユダヤ人たちの大勝利だった。ユダヤ人たちは自分たちこそ正義であると声高に叫び、勝利に酔いしれていた。1943年満州生まれの広河は命からがら45年の敗戦のあと
に大変な苦労で引き上げてきた。その経験からいって「勝とうと負けようと、多くの苦しみを生み、多くの尊い命を奪うのが戦争だ。戦闘によって命を奪ったことを喜ぶなんておかしいじゃないか」
広河氏の考えは理解される筈もなかった。いつのまにか私は戦争に力を貸していた。まもなくイスラエルが占領した東エルサレムを訪れた。
いたるところ戦争の生々しい傷跡が残されていた。サボテンが生えている場所はパレスチナ人の住跡で、もまだ『キブツ』の名前ではなく、パレスチナ人の村の名前だった。どうも『キブツ』を理想社会と
呼ぶには失望を覚え日本に戻った。

広河氏は6年ぶりにイスラエルの地を踏んだ。続く

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