2009年9月28日月曜日

密教と空海


おはようございます。昨日は陶芸窯の窯出し日でした。素焼きは1日、本焼きは2日間ですが、
それぞれ冷ましが2日間かかります。それでも開けて取り出すとご飯の盛たての茶碗
位の温かさがあります。それぞれの個性豊かな作品がみられますが、釉薬がどのように焼成
されているか、この結果は悲喜こもごもでした。しかし自分で駄目思っても、個性的などと
評価してくれるのですから面白いものです。

高野山で会社の事故にあった霊を回向していただいている坊にお参りしたことがありました。
四国のお遍路をすると、弘法大師がともに歩いているなどのお話があるようですが、密教がどんなものか、
分かったのは、日本に密教を空海がもたらした経過だけですが・・・・・・。

密教と空海:仏像と仏師の話:久野 健  学生社より

密教というのは秘密仏教の略で、奈良の諸宗はこれに対して顕教と呼ばれた。
顕教では弟子たちを講堂などに集めて講義をしています。それに対して、密教は秘密の
うちにいろいろな秘法を伝授することにもって尊しとてします。講堂のような所で暗記
するのではなく、もっぱら心の中で感じることを求めたわけです。
しかし感じるにしても、そのもとになるものは秘密の経軌ですが、それは清浄な山上
で、弟子と師が向かい合って伝授するもので、それを灌頂といいます。最初に子弟の
関係を結ぶのを結縁灌頂といいますが、そのほかにもいろいろな灌頂があるそうです。
結縁の場合は弟子と師が向かい合って、頭から五智の聖水を授けて、ごく初歩的な秘密の
経軌を教えます。
そもそもの密教は仏教の中にバラモン教の諸神を取り入れ、非常に加持祈祷を重んじる
仏教の一派です。いろいろな秘密の経軌の経典ができていますが、インドで生まれたの
はせいぜい5・6世紀ではないかと推定されています。インドの密教は比較的早くなく
なってしまい、中国とネパールに残っていますが、チベットに入ったのは7世紀ごろのようです。
また、中国に伝わったのは8世紀はじめで、インドの僧である金剛智が、開元8年(720)
つまり玄宗皇帝の頃に密教の経典を携えて洛陽を訪れて、ここで密教の経典を漢訳しました。
これが真言の第一祖といわれるひとで、その秘密の経軌のすべてをついだのが「不空」で、
不空からつぎに伝授されたのが恵果、それから空海となる。恵果には沢山の弟子がいたが、
中国の仏教は滅びゆく兆候がみえていたので、中国人でない密教を後世に伝えるのは空海
だとおもった。空海の後まもなく、会昌の廃仏がおこなわれて、中国の密教は全滅した。
恵果はまさに先見の明があった。それからこの人達の考え方は驚くほど国際的で信仰とい
うものはどこの国に残っても同じである。という非常に自由な考えをもっていたといえます。
空海は正系の密教を持ち帰ったが、最澄と南都仏教の諸勢力の衝突をみて、表だった行動を
慎んでいた。最澄は空海がほとんどすべての真言密教を持ち帰ったということを知ると彼
のほうが7歳年上ですが自分から空海に結縁灌頂を願い出て、弟子になりたいと申し出た。
京都神護寺に空海が最澄に灌頂を授けたと記録もあるそうです。嵯峨天皇は空海の教えに
非常に感動して桓武天皇が都城の鎮護のために造った東寺(教王護国寺)の経営を空海に
一切まかせることにした。

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