2009年9月3日木曜日

病院の始まり&介護と看護


おはようございます。何気なく、どうして看護でなくて、介護という言葉が登場してきたか、そういう疑問も湧かないまま過ごしていました。
そんな疑問を解消してくれた本 三好春樹著「老人介護 常識の誤り」という本でした。
病院の始まりは野戦病院である。そこは死を待つ場所だった。抗生物質のない時代に病人とケガ人は感染の予防も治療もできず死にいたった。医師にできることはわずかの治療だけだった。それも現在の知識レベルでは効果があるとは思えないような薬が与えられていただけだった。しかし看護には有効な方法があった。安静を保ち、栄養を補給することである。安静と栄養と”治療”を受けた暗示によって、回復力のある運のよい若い患者は治癒することができた。当時の看護職は安静技術をもっていればよかった。栄養を補給することを考えればよかった。だからいまだに老人に鼻からチューブで栄養を摂取させようとし、チューブを老人が嫌がって抜いてしまうからといって手を縛って安静を強制してしまう名残がある。それが老人を寝たきりと呆けに追いやってきた。そういった方法論だけでなく、問題となるのが、医療者、看護職の頭のなかで「安静を必要とする病人」というイメージが固定されてしまったことにある。人間を元気・病気という二種類に分類してしまうまなざしができたことにある。生か死かが問われる野戦病院やかつての結核療養所ならこの二元論は通用したが、近代医療の飛躍的発達でこの二元論が崩れはじめ、かつては死に至った病気が治癒できるようになった。<病気>から<元気>に戻る人も増えた。

病気と元気の間に身体障害や老化を持った人たちが増えてきたことです。
旧態依然な体質の看護体系のところでは、すでに患者ではない障害老人を安静のなかに閉じこめようとして手足を縛ったりした。そこにリハビリという救世主があらわれた。理学り療法士や作業療法士は希望の星だった。リハビリさえやれば手足の麻痺は治り、寝たきり老人は立ち上がり、老人問題はすぐにも解決するかに期待された。そういった過剰な期待があっても老化を止められるリハビリはあろうはずもない。
結局二元論ではなく、大部分の人は元気と病気の間にある。その間には健康不安、心の不安、老化身体障害、慢性疾患、精神障害などもある。とても多様性と個別性をもった人たちのニーズに安静看護という画一的な方法が通じるはずがなくなっていた。安静看護は病気の急性期と病院のICU(集中治療室)といった特殊な空間でのみ通用するものになった。そこで介護が登場したのは単に高齢者が増えてから必要とされるようになったのではなく、人々の抱える問題が多様化、個別化した現代のニーに応えるために必要とされているのである。介護の必要なのはマニュアルではなく想像力と創造力だそうである。

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