2009年6月30日火曜日
子供にも哲学
おはようございます。昨日は冷房機のフィルターに赤のサインが出たので、取り出して掃除をしました。トイレもMIXIの方から使用後すぐブラシを使って綺麗にしている助言をもらったので、そうしています。いつも気持ちよく使えます。
いのちってなんだろう:子どもだって哲学1の中村桂子から
4年生の翼の父が睡眠中に突然なくなったとの報せが朝はいりました。子どもたちに「誰の命にも限りがあり、人生の長さは約束されていない。お父さんの無念、残された家族の悲しみに思いを寄せてほしい」という意味のことをかたりました、 通夜に参列した未来という子が「一人の死は一人の死ではなかった」といいました。「それはどういうことなの?」と問うと、翼のお父さんはこんなに多くの人を悲しませていた」と答えました。
3歳のとき父を亡くした光芙由(みふゆ)が翼にあてた手紙です。
今はまだお父さんの死は深い傷になっているかも知れないけれど、いつかみんなに言い出せるようになると思うから。お父さんのいきられなかった人生まで生きて、お父さんのできなかったことをしっかりやっていけばいいよ!ゆっくりでいいからがんばって。(4年生になってようやく心をひらいてその悲しみを語った)
父が大好きな陽(よう子供の名前)は、お父さんが亡くなり、せいしんてきにも悲しいと思うし、お父さんがいなくなって生活的にもつらいだろうし、夜は話はできない。前まで「つばさ!」と元気に言っていたお父さんももういない。「ただいま!」とドアをあけてもう帰ってこない。悲しいけれど、それが現実だろう。だから、つばさのことを考えるとなみだが出る。そういう面ではオレらは何ひとつできないがちがう面では応援できるから、できることなら言ってくれ。つばさ負けるなよ。子どもたちの死者と生者にたいする思いと言葉の確かさに私は圧倒されました。
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