2009年6月12日金曜日

住宅&自然&地震


おはようございます。従妹(ドイツ人と結婚)の住宅で考えると、国では日本とドイツのどちらが(自分の馴染みの部分と、地震の問題)、日本での仕事のある時期、退職後・老後の時期でどう変化に対処すべきかについては、どのように考えたらよいか、結構大きな問題です。

 街の木は、たいがい花の咲く木です。もちろん花咲木は大切にしなければなりません。住まいのベースをつくってきたのはむしろ花がさかない木でした。花の咲かない木に対する関心が、とりわけ都市生活において無くなっていませんか。木と共に一緒に生きている、そういう日々の感じがなくなってきているのではないでしょうか。
 
 本当にマツの木を植えなくなったと思います。マツの木というのは「見越しのマツ」というぐらい日本文化に馴染んでいましたが、もはや現代では、マツの木によってできる塀とその後ろにある瓦屋根がものすごくむき出しで醜悪に感じらることが多くなってきているようにも思えます。その原因の一つは、瓦と景観的バランスをとるはずだったマツの木がなくなったことにあると思います。
高層のマンションなどの場合、6階を超えると木は窓の下にしか見えなくなるんですね。25階にすんでいる人は「風景にたいする考え方が変わってしまった」と言っていました。「木があると、風というのはそれほど感じなくてすむが、今は風しかない」ともいっていました。

 日本の場合、みんな建築の間取りはほとんど同じです。京都の名刹も、安普請の寺でも立体と平面を見る限りほとんど違いがない。でも配置は全く異なります。それによって空間の質がことなります。間取りだけみていると、周辺部の配置が取り去られて裸にされて街に曝されているような状態です。間取りだけでは気持ちのよい生活は見えてこないということです。

 日本にコンクリートが入ってきたのは関東大震災と、第二次大戦がありなにしろ燃えない・壊れないものにするためでした。日本の型枠大工は世界一といわれるレベルであり、木造技術の延長ですごく簡単につくれたからコンクリートは一気に広がった。コンクリートが壊れたビジョアルな印象は木造の比ではなく無残である。住宅ローンというのは頼りにならないのがよく分かったのが阪神・淡路大震災だった。

問う力、長田弘・連続対談(隈研吾の巻)みすず書房より
http://www.world-architects.com/index.php?seite=jp_profile_architekten_detail_ja&system_id=15182

保険料;http://www.mof.go.jp/jouhou/seisaku/jisin.htm#04:たとえば東京と山形では3倍以上の保険料の額に違いがある耐震性によって保険料の割引が違う。

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