2009年6月27日土曜日

江戸と大坂


おはようございます。歌舞伎は一度玉三郎の舞台しかみたことがないのですが、これは本当の女性の如くでたまげてしまいました。
江戸と大坂の違いが下記のようにあったというのが面白いと思いました。
誇張の荒事、写実の和事
 歌舞伎には「荒事(あらごと)」と「和事(わごと)」という異質の、対照的な型がある。滅法強いスーパーヒーローの活躍するアクション劇を荒事といい、たおやかな男女を主役に、濃(こま)やかな人情の機微を描いたホームドラマを和事という。

 荒事の型は江戸の市川團十郎が、和事は上方の坂田藤十郎が創った。江戸に荒事、上方に和事が生まれたのはそれぞれの都市の成り立ちと関係がある。当時、江戸は新興都市で、武家中心の町であった。百万都市の半分が武士だった。比べて、上方にはすでに古い歴史があった。京都は公家の、大坂は商人の町である。三十万都市の大坂に武士は僅かに一割であった。

 従って、江戸と上方では気風も違った。江戸は開拓の活気に満ち、武士の社会だから庶民もどこか威勢がいい。それが荒事(荒武者事)という荒唐無稽の活劇を好む土壌になった。反対に、上方はすでに都市として落ち着いているから、人の気性もおだやかだ。そんな風土が和事という柔らかで写実的な芸風を生んだ。

 荒事は元祖團十郎が延宝元年(一六七三)に十四歳で『四天王稚立(おさなだち)』の坂田金時を演じたのに始まる。これは、足柄山の金太郎みたいな少年が大斧を手に大勢の猟師を相手に大暴れをする活劇だが、以後、荒事の主役はどれも、神がかり的な力を持った人物に描かれていて、團十郎はそれを紅と墨の隈(くま)で表現して評判をとった。

 一方、初代藤十郎が完成させた和事の芸脈は出雲の阿国の「かぶき踊り」にさかのぼり、商家の主人などが遊女遊びで身を持ち崩しながら、人の情けに触れるというのが大方の筋書き。荒事が物語性よりも、超人的な英雄の力感溢れる豪傑ぶりを強調して見せるのに対して、和事は、「狂言めかず実(じつ)を見せる」リアルさを重んじる。

 延宝六(一六七八)年二月、藤十郎は『夕霧名残の正月』で藤屋伊左衛門を演じ、柔らか味のある芸で人気を得、以来「夕霧物」を生涯の当たり役としたが、荒事と違って和事の主役はどこまでも頼りない。荒事と和事が大成されたのはともに元禄期だが、この時代には歌舞伎の正統は上方にあった。團十郎より十五歳年長の藤十郎は当代一の名優と謳われていて、江戸一番の團十郎さえ「あの人がいるうちは江戸の役者が上方に行ってもだめだ」と言って一目を置いた。その藤十郎の大名跡が来年は、二百三十年ぶりに四代目として今の鴈治郎によってよみがえる。

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