2009年6月15日月曜日
いい加減の加減②
おはようございます。考えてみれば「いい加減の加減」というのが一番難しいが、日本人には一番合っている手法だとすると、外国人には本当に分かりにくいことかと思う。
繰り返しになりますが、これらを第3者として調査してみると、これらの番組を作った人がものすごくいい人ばかりで、悪意のある人ではなかった。
納豆の事案でも30歳代のディレクター(この人は仕事が相当に出来ると感じる人だった)はねつ造を隠そうともしなかった。自分のせいで、他の人に迷惑をかけたことに責任を感じていたし、他の人をかばう態度だった。
何故ねつ造したか、米国人の報告書は番組の主張と全く違っていた。全く別の成分が含まれているからやせる。ここでは企業から研究費をもらっていた。これのサプリメント発売前だった。このサプリメントの売れ行きに影響が出てはいけないとの心配をしていた。
ディレクターが取材したサプリメントのDHEAで2人に取材していた。
1) カメラに映るのはいやということで拒否された。
2) ネズミに食べさせたが、人間でのデーターはない
DHEAは沢山食べたら、ホルモンバランスが崩れる
3.4時間のインタビューで米国滞在は2日間であったのは、そもそも時間が短すぎる行程だった。期待したことが聞けなかった。
こういう番組は、最初の企画の段階から頭にあるのは、こういうものにしたいという企画の課題にあったインタビューを集め、ねばるという態度です。
こういう問題になった事件の取材方法がどうだったか調査するに、事前にメモ程度は用意するが、事実を集めない、どうしてかというと、現地にいけば何が起きるかわからないし、=まず空っぽで出発する。現地には知りたい情報は沢山あるから。
これが日本の大学の先生は、ディレクターは黒だという思惑があった場合に、白といわれても「これは灰色ですね、そうですよね、たまにこういうこともあるでしょ」というように誘導するのがディレクターである。日本の学者は米国人と違って「それは違います」とはっきりは言わない。
吉岡さんはこういうディレクターの米国での取材方法について、ディレクターの取材先宛て2日ほど取材許可をまっていたが、もらえなかった。
NYでの滞在でこの待っている間9.11の現場見学をした。そのとき思ったのは、たかが納豆で、誰も死んだわけでもなく、大阪の人からの多少の下痢位はあったようだが、なんでこのNYまで来ているのだろうと思った。
日本は北・南からあっという間にニュースが伝わる。米欧よりもこれははるかに強い。
日本の街の空洞化現象(シャッター通り)は田舎にいけば至る所の現象です。いろんな事件和歌山カレー事件などの特異な事件は、こういう旧市街ではなく、新しい街(出来て20から30年)でおきていて、行ってみると、ほとんどがそういう新興地である。ここでは隣近所は知らないもの同士である。地域の習慣や、伝統がない。新興地では個人の考えが、地域の文化や常識を帯びるとかもないので、個人の欲望がストレートに出やすい。
この和歌山のカレー事件で取材していた時に、街の人に声をかけられた。「やあ心配です。やあ学校崩壊。」「小学校3年生ですか、どこの学校ですか、秋田です」「あの秋田の学校帰りの事件、自分の学校でもあるのではないか」、本来なら自分の子供の学区内なら知っている筈なのに、いきなりマスコミの話題で、しかも距離もある秋田だったのです。
納豆のディレクターは、自分ではやせる必要がない、みんなに役に立てばよいと思っての番組のための取材。
今日も終われば何をやったかも忘れてしまうというディレクターがほとんど。
こういう荒い・思惑の取材があるからには、いろんな隙間がある。しかしこの事態が悪いわけではない。元来情報は「いい加減」なものだから。
又情報発信は一人一人ができる時代になったのだから。
どうすれば情報の発信ができるのか。私はそれぞれの現象をこのように思うというというものにまとめる。
取材の手順を記録しておく、段々にそれぞれのテーマについてどう考え、足踏みし、考えた軌跡、これは一人、一人違う。客観的真実というものはない。このことは誰がいったのか、人に着目してゆく。人の大事さを思う。
タイの山村、国境に近い、30世帯くらいしかない村で、宿もないので村長さん宅に泊まった。吉岡さんはコーヒー好きで、ここではインスタントコーヒーを飲むときにそこの家族にも御馳走した。ところが村長さんだけはけして口にしない。天井に干物のネズミが置いてあって、これが御馳走だった。
3.4日しても飲まないので「どうしてですか」と聞いてみますと、「これはきっと相当に美味しいものにちがいない。そうであるなら、また飲みたくなったら遠い街まで誰かをやって、買いにいかせることも村長だからできる。しかしそのことでの影響が大きいから飲まない」のだという。この村長さんの話を聞いて、どこにも凄い人がいるものだと思ったそうです。ですから信頼のおける人を見つけて、この人の、人中心のことから始めればよいと思っているそうです。
文章というのは簡単だ。以前詠んだ本をもう一回読み直してください。読んで気に入ったところ、感心したところを、かならずノートに書き、3月くらいで続けるとかけるようになるそうです。
一番書けないのが、詐欺師のこと、取材しても、ほとんど作りごとで、どこまで本当かが分からないから。
武蔵野大学で吉岡忍先生の講演:創作のすすめ「いい加減の加減、何をどう書き、表現するか」
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