2009年6月3日水曜日

夜と霧①


よくも生きながらえて、この手記が陽の目をみたという感慨を覚えます。
夜と霧;新版;池田香代子訳:みすず書房より

わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」をしった。では人間とはなにものか、人間とは、人間とは何か決定する存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然としてお祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。
カポー※からの虐待は親衛隊員を超えていた。収容所ではただ生き延びるために熾烈な競争があった。生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも、平気になってしまっていたのだ。そういう者だけが命をつなぐことができた。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく、生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった。
※囚人の仲間から選抜された監視人で自分の保身のために、かえって仲間に苛刻な扱いをする。
.死刑を宣告された者が処刑の直前に自分が恩赦されるという空想をし始める。最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないだろうと信じた。当時アウシュヴィッツで一晩を陽気に過ごせるだけのブランディが何千マルクについたか知らない。目の前の長身でスマートな真新しい制服に身を包んだ親衛隊将校が人さし指を右と左に動かしている。夜になってこの人さし指の意味をしった。私たちの90%が左にやられたのは入浴施設(実はウソ)と書いてあるが、その先で何が起きたのか言わなくても分かるだろうと。数百m先の煙突を指差した。渺々たるポーランドの暗い空をなめ真っ黒な煙となって消えてゆくのだった。

0 件のコメント: