2009年6月22日月曜日
チェルノブイリ
おはようございます。昨日は八王子市の湧水を3ヶ所みてきました。とても澄んだ水で、お椀状の土地、あるいは高台の崖した(ハケ)で神社が2ヶ所でした。
案外地図は概略しか示していないので、地形の探偵の如くでした。
歌声は心をつなぐ:佐藤しのぶ:東京書籍
私はすべてを脱ぐ捨て、音楽を通して子供たちとともに歌い、踊り、抱き合いました。チェルノブイリで被爆したこども、バングラディッシュのストリートチィルドレン、何か役に立ちたいと出かけはずが、反対に厳しい現実の中で、必死に生きる彼らから私は人間の真の尊さを教えられた。
音楽は人の垣根を飛び越えて、ハーモニーは笑顔を紡ぎ、歌声は心をつなぐ。美しい声とは美しい魂。
「子供たちのほとんどは、自分の病気のことを知っています。そしてその病気を克服できるかどうかは、自分たちの気持ちにかかっているのだということもまた、彼らは理解しているんですよ」とサナトリウムの所長さんが言う。だからこそ積極的に、夢を抱き、未来を見据えている。そうしなければ病気を克服できないことを知っているから。そんな彼らに人生をかけて携わろうとするボランティアの人々、それに引き替え、私は何故こんなににも何も知らずに過ごしてきたのか。自分が情けなく、まるで目眩がするような感覚だった。
「私など呼ぶお金があるのなら、もっと多くの薬を送って下さい。医者を呼んで下さい!」すると所長さんは静かにこういった。「佐藤さん、人はそれだけじゃ生きていけないんです。医療で治せるものは少ないんです。病気を克服するには医療と同じくらい、もしくはそれ以上に、夢や希望が必要なんですよ。私は言葉一つ出なかった。
ここにいる子どもたちは「誰もあなたのステージを観に行くことはできない」この言葉を受けオペラハウスと同じように演奏するために、活動的な服装を美しいドレスに、近くのふるいピアノをやっと調律し、皆懸命にがんばった。
3・4曲演奏しただろうか、やがてリクエストはシューベルト※のアベマリアだった。
(※わずか31年の人生、五線紙も買えない、けして幸福とは言えない人生でもけして希望や愛を失わなかった人、彼が生まれたことを、誕生の夜にチェロを弾き、神に感謝した父、彼を支えた沢山の友人たち、ゆがまない純粋な愛を抱き続けた人。)
アベマリアを歌いながら私は、子どもたちの生命を讃え、愛する気持ちに満ちた。
歌い終わると、はちきれんばかりの拍手を浴びた。
心が通じあえたという喜びとどうしようもない空しさも襲ってきた。
困難なはずのその身体で、走り、大きく手を振り何か叫んでいる。
勇気を与えにきた筈なのに、逆に励まされていた。とてもな大きな花束であったが、当時の私には少し大きすぎた。その花の美しさに応えるだけの強さを、まだ持ち合わせていなかった。こらえていた涙が一気に」あふれた。
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