馬は乗ってみたい気持があるが乗ったこともない。数年前になるが写真でみたサラブレッドの姿の美しさを実物でもみたいということで、府中競馬場にいったことがあったが、他の競馬場でのレースを大スクリーンでみているだけだった。小生はダービーだけお付き合いで2・3度買ったことがあったが、からっきしだめな成果だった。見ているだけでつまらないということで、家内が1・2.・3位を当てる当てるには難しい3連複というのでしょうか、100円一枚を当てずっぽうに買ったら万馬券で1万円以上になってビギナーズラックとことだった。でもそれ以来お付き合いは遠のいている。
興味本位で手にした「馬は、レースで自分が勝ったか負けたか、果たしてどこまで分かるのだろう」に惹かれて手に取って見た。
今にして思えば、彼らサラブレッドの感受性やと知力を随分みくびっていた。
昭和60年には五冠馬となっていたシンボリルドルフは故障あがりで6ヵ月ぶりのレースだったがそれでも圧倒的な一番人気に支持されていた。そのときの天皇賞レースで最後の200mでいとも簡単に先頭にたち、大観衆に“六冠馬”と思わせたルドルフをゴール前で一瞬にして伏兵ギャロップダイナがかわした。よもやの二着となってやぶれたのである。
気まぐれな“勝負の女神”は思いもよらぬ悪戯をするものだと実感しながら、ルドルフの馬房にわたしは足を運んだ。そのときちょうどルドルフが厩務員
に引かれて戻ってきた。ルドルフは、2つの大きな瞳いっぱいに透明な液体をたたえていた。傍で写真家の今井寿恵さんがシャッターを切る音がした。彼女も頬を濡らし、肩を小刻みに震わせながらカメラをむけていた。ルドルフの騎手・岡部幸雄はかつて私にこう語ったことがある。
「馬の性格を大別すれば二種類あって、走るだけ走るタイプと、小差でも勝てば充分というタイプ。ルドルフは後者の代表だね。」敗北の馬房でルドルフが流した涙は、ゴール寸前で気を抜いたことへの悔恨の現れだったのだろうか。人間が繰り広げる“賭博のドラマ”は無論彼らサラブレッドとは無縁の世界である。ルドルフの涙に接した後、わたしの関心は“馬の思い”へどんどん傾斜していった。
馬は誰のために走るか:木村幸治:祥伝社
写真は素材より
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