2008年10月18日土曜日

古典の楽しみ


千代田区の図書館にはいわゆる本やDVDやCDの貸出以外にWEBの貸出があるそうです。よく分からなかったので実物を見せてくださいと言ったら説明してくれました。

これはネット上でみる本でした。インターネットを通じて自分のPCに取り込んで読める本なのでした。2000冊あるそうです。2週間過ぎると自動的に見れなくなるし、返却もしなくてよいそうです。

1冊を3人限定でよめるということです。そのうち図書館にいかなくてもよい時代がくるかもしれませんが、本を手にもった重さがないので手ごたえがありませんでした。若いお母さん達がTOEICでお子さんの英語の学習に利用されるそうです。これは日本では千代田区だけとのことでした。千代田区の図書館はこのWEBは別として貸出は区民以外のものでもよいそうです。

林望(通称リンボウさんでしたしまれている。元慶応大学教授、作家、書誌学者)の講演;「古典の楽しさ奥深さ、そして新しさ」から

この人は英国事情に詳しいことで有名になっているが、本来は国文学が専門なのだそうです。高校時代にならった古典にはどうしてこんなにつまらない文法などを教えるのかと大いに疑問に思っていた。一番嫌いなのは現代物だそうです。源氏物語や枕の草紙、平家物語は長い年月を経ても残っている。人間や人生や男女の機微が表現されていて、その輝きはいまだもって失っていないから。現代物は100年後あるいは何百年後にも尊重されているかは時代によって淘汰されてみないと本当に生き残る価値があるかどうか分からない。米国の歴史は1800年代から、英国のシェイクスピアであっても16・17世紀の人です。源氏物語は平安時代中期1000年頃の作品です。

源氏物語は青年の物語です。母国語なら外国語のように辞書を引きながら意味を特定する必要がないので、瑣末を飛ばして読めば大意は分かる(小生にとってそういわれても正直分からない)。

日本は最古のときから男女の恋愛を大事にしてきた民族で、この表現には蘊蓄を傾注している。

枕の草紙の1段目は教科書にのっているように「春はあけぼの・・・」のように宮廷の貴族のあり様を描いているやに思われていましたが、雅の世界を語っているが宮廷のおばちゃんのおしゃべりの物語だそうです。

63段には暁に帰らん人は装束などいみじゅう うるわはしう、烏帽子の尾元結、かためずともありなんとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りてわらいそしりもせん。

これは平安の昔は通い婚であったので、昼ではなく夕方に暗くなって男性が女性の元へ訪れるときの女性からみた男性の評価だそうです。

薄くらい朝には帰らねばならい男の服装はだらしないのがよい。帯の結びや烏帽子もまがっていたり、グシャグシャであるのは別れるにあたって、キチンと服装を整えるよりも、一時も女性の元を離れるのが辛いということであるのだからそういう姿が見えるのがよい。「早く起きて・起きて、夜が明け姿がはっきり見えるのはみっともないですよ」の何度も催促され挙句に蔀をあけても、床面になにか忘れ物があるか見分けが付かない頃に、女性の耳元に別れの寂しさを囁きながら、引き戸をあけられ風の如くに去ってほしい。元気にさようならは風情がなくて嫌だわ。

一度女性宅を訪問して男性は次に何時くるとも分からないわけだし。(男性も台風の土砂降りで風の吹き荒れるころに訪れてくれると情の熱さが分かってもらえるといういうもの)

73段目のところには女性宅を訪れ情事が終わった途端に急に用事を思い出したように、そわそわ帰り支度をして、あっさりしたサヨナラは何と味気ない人なの、というようなことが書いてあるそうです。彼の高校の先生は生徒に教えるにあたってこういう事が分かっていて教えたのだろうかと思っているそうです。高校時代に入試の試験に通ることよりも、今でもけして色あせていない人間の機微を教えていたなら古典が嫌いということもなかったろうしと。

私も源氏物語を昨年武蔵野自由大学で教わったりした。貴族の世界が分からないといけないということで、イタリアの貴族出身の監督ルキノ・ヴィスコンティの作品「やま猫」のDVDをみたり、田辺聖子さんや瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」をかじったりしていました。今度見つけたのは下記のようなCDの巻き数が112ものを図書館でみつけたので挑戦してみようと思います。関西では源氏物語千年の諸行事が目白押しで行われていたようですが、大半はもう終了しているのは大変惜しいことをしたと思います。

紫式部/原作 瀬戸内寂聴/訳 三田佳子/声の出演 中村橋之助/声の出演 山本郁子

ポニーキャニオン

2000

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