昨日は東京経済大学で黒井千次という作家の「老いるということ」について講演があったのですが、主催者側の期待に反して大きな収容力の会場に変える程の大変な盛況でした。老いるについてこうすべきという答えはないが、老いている同行の人同士でそれぞれの生き方を知りあうことにありということでした。
離縁から離婚への変化は法律上は家と家の関係から個人と個人の関係へと変わりました。変わってきた ことと言いますと、昔は家庭の中の問題には、法が入らないとされていました。特に親子関係、夫婦関係にいえます。今は、児童虐待、配偶者間の暴力などが問題 となって法制化されており、2006年4月1日からは高齢者虐待防止法が施行されました。こうした問題の原因を見てみますと、家庭の中の親子関 係、夫婦関係がもとで起こる例が多いようです。家庭の中というものは、非常に複雑な問題が起こり得る場でもあるのです。
男の値段と女の値段
家 の中だけでなく、変わってきたことは、人間が何かアクシデント、事故があったとき、その保障をどうするのかという問題にも変化が見られることで す。かつては、男女で差がありました。つまり、「男女の値段の差」が著しかったのです。1970年代以前では、女性は大体25歳くらいで結婚して専業主婦 になるから、その後の収入は「0」と計算されていたのです。ですから、同じ年の男の子と女の子が交通事故に遭った時、非常に大きな差がありました。
そ れが裁判で争われるようになり、1974年に初めて主婦の家事労働を金銭で評価して計算しましょうということになりました。査定の基準となったのは、家政 婦さんの賃金です。その後、1981年にパート労働者を除く、全女性労働者の平均賃金で算定することになりました。これで男女平等になったと私もその時は 思ったのですが、しかし、男性の賃金を100とすると、女性のそれは55から60なのです。それではおかしいということになり、21世紀に入ったあたりか ら、特に東京高等裁判所が火蓋となり、全労働者の平均賃金で査定しましょうということになりました。少しずつ色々なことが変わり始めてきています。
同居神話の不思議
スウェーデンとヨーロッパ諸国の高齢者というところです。いわゆる「同居神話」です。高齢者は子供の家族と一緒に暮らしていた ら、何か問題があったときに子供たち家族に面倒を見てもらえるだろう、孫たちと接することにより、暖かな生活を送れるだろう、という考え方がヨーロッパに もあったのです。様々な福祉サービスを提供する国と、あまり整っていない国との間で、あまり福祉サービス制度が充実すると、高齢者は一人住まいしているか ら孤独を感じるのだ、という批判もデンマークやスウェーデンなどに対してありました。
高齢者が様々な福祉サービスを 受けている国の方が、高齢者の孤独率が低かったのです。大体5から9パーセントです。ところが、定期的に誰が世話をするかという欄を見ますと、スペイン、 イタリア、ポルトガル、ギリシャでは同居の子供が世話をする割合が非常に高いにもかかわらず、孤独を感じる高齢者の割合も高いのです。この内容を見ます と、家族とのふれあいは同居しているので非常に高いです。しかし、25歳以下の若い人とのふれあいとなると、案外少ないのです。年金の側面から言います と、受給額が少ないほど、子供との同居率が高くなります。
年金が低いから子供たちと同居するのか、同居しているから低い年金でも問題ないのか、ま た、福祉サービスが不十分だから子供と同居しているのか、同居しているから福祉サービスが不十分であっても問題ないのか、それは詳しくはわからない、と調 査をしたスウェーデンでは分析しております。ただし、子供家族と同居していることによる「気兼ね」が高齢者の孤独感を高めているのではないか、と結論付け ています。高齢者だけではなく若い人たちでも孤独に感じるような疎外感は、一人で居る時よりも複数の人達と一緒にいる時の方が強いのではないでしょうか。 私たちが今まで思い込んできた「同居神話」などは、少しずつ考え直さないといけないと思います。
東京禅センター第9回公開講座 NO.18の講座記録より
【『家』意識と『墓』の継承 】 | 花園大学:古橋エツ子 | 平成18年2月18日 |
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