2008年10月21日火曜日

昔の手習うた


おはようございます。字を覚えるのに、小さいころは「いってらっしゃい」のつまったところがとても難しかったことを記憶しています。運動でいえば逆上がりも

何度も練習して出来た時のうれしさは思わず自分の笑みがでてくるのでした。

仏教がひろまることによって「ひらがな」が広まるようになったのでしょうか

「いろは歌」は弘法大師(774年から835年62歳)が作った、という俗説は案外信じられていて、少なくともその時代に作られてものでそれも仏教関係の制作、と思っている人も多い

しかし実際にはもう少し新しく、平安時代(794年から1192年の約400年間)の成立であるということはすでに定説になっている。その論拠とされるのが「いろは歌」より以前のもものとして知られる「あめつちの(ことば)」である。【平安時代の初期のことになるのでしょうか?仏教伝来は 538年,(日本書紀によると552年。元興寺縁起などでは538年),百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりです。その後,推古天皇の時代に「仏教興隆(こうりゅう)の詔(みことのり)」が出され,各地で寺院建設も始まりました。】

あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ

ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえをなれゐて

もともとは「手習い歌」(字の練習のための詞)で漢字になおすと、

天、土、星、空、山、川、峯、谷、雲、霧、室、苔、人、犬、上、末、

硫黄(ゆわ)、猿、()ふせよ、()()を馴れ居て

「生ふせよ」は「()ふ、()よ」でもあるというが、ともかく前半は天地、峯谷、

人犬、上末、など巧みに対比させていて、ことば遊びとしてはみごとな構成をもっている。

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日(けふ)こえて 浅き夢見じ酔ひもせず   

は「諸行(しょぎょう)無常(むじょう) 是生(ぜしょう)滅法(めっぽう) 生滅減(せいめつ)() 寂滅(じゃくめつ)()(らく)

の意味をあらわす「今光明最勝王音義」(1079年)に見えるところから、仏教関係者であろうことは確かであろう。

「いろは歌」は47音、「あめつちの詞」はえと「え」がふたつある。そのころはア行とヤ行がeとyeが並立していた。

古典いろは随想:尾崎左永子:紅書房より

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