2008年10月28日火曜日

ユダヤ人②生き延びる


今朝は放射冷却でしょうか、朝の肌寒さが一段と違います。このあたりはハナミズキだけは赤くなっていますし、山々のもみじも一層いろあざやかに

なることでしょう。弓の先生が銀杏を片手に盛る位ですが、皆に配ってくれます。小粒ですが、新しいので美味しいです。それで教わったのは薄い紙の封筒にいれて

表面に霧を吹いて濡らして電子レンジにかけると、割らないでもよいようです。

ユダヤ人②生き延びる

44315日ドイツ軍がハンガリーに侵入した。ドイツ軍のためにソ連に赴いたハンガリー軍の8割が戦死した。ユダヤ人部隊はまともな靴さえ支給されず、そのほとんどが戦場で殺された。この時期ハンガリー(この国のファシストはユダヤ人を見つけると、そのときの気分次第で銃殺してしまうことがよくあった。)のユダヤ人は生きて戻るあアテのない強制収容所に送られた。祖父と祖母はハンガリーが完全にドイツ軍から完全に解放されたあと、戦争が終わる1ケ月まえにオーストラリアで殺されてしまった。とうとう父も強制収容所に送られ、銃殺される40人が壁にたった。父は壁の一番端にたっている人に声をかけて立つ場所を代わってもらった。代わってくれた人はどうせ死ぬに決まっているにだから同じじゃないかと譲ってくれた。この視察にきたドイツ人将校は自分の運転手相手にチェスをやっていた。それがみえたので、この将校に、ドイツ語でどの駒を動かせばいいかを教えてやった。将校はドイツ語が話せて、チェスが出来る父(医者)にびっくりした。どうやら運転手は役不足だった。運転手に代わってチェスの盤の前にたった父は、自分が勝てば「バカなユダヤ野郎にやられた」と思うのを予期して、勝負を引き分けにすることにした。2回目のゲームの途中ハンガリー人の看守がお前も来いと呼びにきた。将校はハンガリー語が分からないので何をいっているか尋ねた。父はドイツ語で「こっちに来い」といわれたといわないで「ドイツ人とチェスをやるな」といわれたと答えた。怒った将校は看守に拳銃を向けて「とっとと行ってしまえ」と命令した。しばらくして銃声が聞こえた。父の顔色が変わった。

将校も真意がはっきりと分かった。  続く

世界青春放浪記:ピーター・フランクル(世界的数学者、大道芸人、11カ国語を話す、ハンガリー生まれのユダヤ人)より

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