2008年10月27日月曜日

山本有三記念館


最近は博物館巡りをしています。

山本有三(栃木の呉服屋の生まれ)記念館にいきました。解説ボランティアの人が熱心に説明してくれるのでしたが、見学して湧いた疑問についてではなくて、頼む前から説明してくれるのでしたが、台所とか、お風呂とかの場所、1階には暖炉があって温かそうですが、2階はどうしたのでしょうかと今頃疑問が出てきました。

この西洋風の大邸宅(132坪・土地1000坪以上)は1946年に米軍に接収されている(鳩山邸なども)。その後この屋敷ごと都に寄贈したのだそうです。

玉川上水のほとりに建つ、旧山本有三邸である「山本有三記念館」は、大正末期の本格的な欧風建築で、晩餐客がくつろぐドローイングルーム(応接間)や、個性的にデザインされた3つのマントルピース(暖炉)があり、壁やドアにも装飾的な細部を持ち、三鷹市の文化財にも指定されています。

「路傍の石」※が門の前に置いてあるが、石ころではなく大きな黒くて3人で抱える位の大きな石だった。(写真白い門の前中央)


1974年(昭和49年)の朝日新聞1月13日号は山本有三が逝去されて3日だそうですが。

長谷川町子さんのサザエさんのマンガ:

お父さんが新聞をみながらつぶやいたのは「又明治の灯りが消えた。子孫に美田を残ずは私と同じ主義だ」

カツオ君聞きのがさず、我が家では「」と「」の違いがあると。

お父さん、カンカンになってカツオ君をポカリ叩こうとする。

おかあさんが間に入って必死に止める姿。

※路傍の石主人公の愛川吾一は勉強がよくでき、級長を務めるほどの優等生で、中学への進学を熱烈に希望していたが、がならず者で

貧しかったために呉服商に奉公に出されてしまう。

勉強をしたい一心で奉公先から逃亡し身寄りのないまま上京、様々な紆余曲折を経ながら人間として成長していく姿が描かれている。

吾一の生き様は、山本自身の生い立ちと重なる部分も多いが、本人はそれを否定しており、実際、細部において山本の生き方とは異なる。

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