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2010年1月8日金曜日

ユヌスの主張②


おはようございます。田舎の山形では又大雪で大変です。やはり電車やバスへの影響もあるのかもしれません。除雪が大変でしょうね。
ユヌス、貧困のない世界を語る:金融危機は変えるチャンス、貧困が博物館でしかみられない状態にしたい。貧困を運命の一部として受け入れるしかないという状態を改善したい文明社会を達成させたい。貧困は貧しい人が作ったものではなく、社会のシステムが作った。まず貧困を半減させよう、更には半分にすることが出来るなら全廃もできるはずだと。ソーシャル・ビジネス
ユヌスは、利益の最大化を目指すビジネス(PMB)とは異なるビジネスモデルとして、「ソーシャル・ビジネス」 を提唱した。ソーシャル・ビジネスとは、特定の社会的目標を追求するために行なわれ、その目標を達成する間に総費用の回収を目指すと定義している。また、 ユヌスは2種類のソーシャル・ビジネスの可能性をあげている。一つ目は社会的利益を追求する企業であり、二つ目は貧しい人々により所有され、最大限の利益 を追求して彼らの貧困を軽減するビジネスである[2]。
具体的には飢餓・栄養不良を失くす。フランスのダナンという年商2兆円の会社から招待され、共同でグラミンのダノンを設立しようということになった。これはバングラディシュでヨーグルトの生産と販売を行う。この会社は株主への配当もなく、利益は全て慈善事業に投資しようというものである。この会社に招待されたときに、サッカーのジタン選手にあったが、それほどに有名な選手であることすら知らなかった。
(フォックスワーゲンもこの類の事業に参画する用意があるのだそうです)
ヨーグルトは1ビン9円、350万人(人口は1.5億人)の供給したい対象の内、冷蔵庫がないので、48時間以内に届けられる範囲の6万世帯に供給する仕事量で出発し、現在もう2ケ所建設中であるが、全国に50ケ所増設計画している。近隣には牧畜している農家があり問題ない。供給は商店だけでなく、配達は9円の売値の内1割が販売員のもうけである。
その他目指すはもうけで、保険や医療(とくに白内障が多く、失明になるケースあり、治療費用2500円がない患者は半数にも上り、)それらの人には無料にしている。
●グラミン・シャクティ(エネルギー):国土の電化率は6割:ある村の半数の家庭にソーラーパネル一枚取り付け、50Wの発電力であるが、バッテリー充電でテレビも見られるようになっているし、携帯電話も使用できる。パネル一枚3ドルを2ドルにすれば全家庭に普及できる目途があるという。
●マイクロクレジット:マイクロクレジット (Microcredit) は失業者や十分な資金のない起業家、または貧困状態にあり融資可能でない(商業銀行からの融資を受けられない)人々を対象とする非常に小額の融資(ローン、クレジット)である。これらの人々は担保となるものや安定的な雇用、検証可能な信用情報を持たず、通常のクレジットを利用するための最低条件にさえ達しない。マイクロクレジットは、少額保険、少額送金など少額ファイナンスサービスの一環であるため、貧しい人々への金融サービスを意味するマイクロファイナンスの一部分である。
マイクロクレジットは開発途上国で生まれた画期的な仕組みで(特にバングラデシュで始まったグラミン銀行が有名である)、貧窮のどん底にある人々(ほとんどは女性)が個人事業に従事し、収入を得て、貧困を脱することを可能にさせ、成功を収めている。

2010年1月7日木曜日

ユヌスの主張①


おはようございます。NHKの「未来への提言」から:
リーマンショク後の世界同時不況は確かに限界をみせました。それがユヌスの主張は、この不況下でも揺るがないし、首肯させるものがあります。
資本主義の限界:今日の世界不況は資本主義の限界を示したものである。お堅い銀行ですら全てギャンブルに走った。紙切れの上の利益に過ぎなかった。空中の城は崩壊した。ユヌスは、現在の資本主義が、人間について利益の最大化のみを目指す一次元的な存在であると見なしているとする。これに対して人間は多元的な存在であり、ビジネスは利益の最大化のみを目的とするわけではないとユヌスは主張する[1]。

ムハマド・ユヌス(1940年6月28日 - )は、宝石商の息子に生まれる。現在バングラデシュにあるグラミン銀行総裁、経済学者である。英国統治下にあったバングラデシュの南部チッタゴン(英国植民地の港町)に生まれる。ボーイスカウトにも参加。チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学を卒業。フルブライト奨学金を得て渡米し、1969年にヴァンタービルト大学で経済博士号を取得した。
1969年から1972年までミドルテネシー州立大学で経済学の助教授を務める。その後、パキスタンからバングラデシュ独立後の1972年に帰国し、チッタゴン大学経済学部長に就任した。1976年にグラミン銀行プロジェクトをジョブラ村にて開始し、1983年に同プロジェクトはバングラデシュ政府の法律により独立銀行となる。グラミン銀行は多分野で事業を展開し、「グラミン・ファミリー」と呼ばれるグループへと成長をとげた。2007年2月、新党「市民の力」を発足。
2006年ノーベル平和賞受賞
バングラディシュは国土の5分の1が海抜1m以下で地球温暖化の影響で、海面上昇が及んでいる。安く誰でも購入のできる車があれば、そのエンジンは取り外してポンプの動力に使えるものにできないかと考えている。日本が供給しているODAの一部を下記のソーシャルビジネスに回すことができれば大きな励みになる。

ソーシャル・ビジネス
ユヌスは、利益の最大化を目指すビジネス(PMB)とは異なるビジネスモデルとして、「ソーシャル・ビジネス」 を提唱した。ソーシャル・ビジネスとは、特定の社会的目標を追求するために行なわれ、その目標を達成する間に総費用の回収を目指すと定義している。また、 ユヌスは2種類のソーシャル・ビジネスの可能性をあげている。一つ目は社会的利益を追求する企業であり、二つ目は貧しい人々により所有され、最大限の利益 を追求して彼らの貧困を軽減するビジネスである[2]。
具体的には飢餓・栄養不良を失くす。フランスのダナンという年商2兆円の会社から招待され、共同でグラミンのダノンを設立しようということになった。これはバングラディシュでヨーグルトの生産と販売を行う。この会社は株主への配当もなく、利益は全て慈善事業に投資しようというものである。この会社に招待されたときに、サッカーのジタン選手にあったが、それほどに有名な選手であることすら知らなかった。
(フォックスワーゲンもこの類の事業に参画する用意があるのだそうです)