2009年12月21日月曜日
サッカーの人生哲学①
おはようございます。自転車にのると、頬の辺りが寒いが、口の中にも冷たい空気が流れてこんできて、喉の奥までつめたくなるような昨日でした。
イビチャ・オシム著・長束恭行訳「日本人よ!」より
人生で起こりうるすべては、サッカーの中に集約されている。
選手がプロとしてサッカーをプレイできるのはせいぜい5、6年運がよいものは10年暗いかもしれない。そのわずか10年の間のサッカーで、その選手は一生涯にとっても十分すぎるほどの出来事を経験うるかもしれない。一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように、歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等を経験するのだ。
「今の日本人が勤勉であるかどうかは疑問だ。現在日本人は非常に高い生活水準を今の人々享受しているだけではないか」10から12時間働くことが勤勉であるという意味ではない。12時間オフィスに座っているより、1時間だけ勤勉に働いていた方が良いって時もある」とかたった。
「日本人は伝統的に責任を他人に投げてしまう。工場ならそれでも機能するかもしれない。けれどもサッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。
日本は明治以来国際化の模倣を続けてきて成功してきた。サッカーの場合スペインのバルセロナに必死になろうとしてもそれはコピーにすぎない。しかしそれよりもまず自分たちの力を客観的にみてが、自分たちに何が本当に何ができるのかを先に知らねばならない。これはさらにずっと先まで続いていく課題かもしれないが、自分たちにできることがあるならば、それをもっと発展させるよう努めるこ。そしてそれを誇りにもつ事が大事。
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