2009年12月10日木曜日

大名行列


おはようございます。大名行列ではなぜ奴が鑓をなげるのか:根岸茂夫
現在全国各地で大名行列が再現されている祭りが一〇〇以上もあるそうです。多くの行列で奴が鑓を投げあげたり、毛鑓を振ったり投げ渡しする仕草が行われ、祭りの見せ場になっている。明和八年(1771年)12月幕府は管見のやり投げを禁止した通達をだしている。怪我の心配をしてやめるように命じている。このころから江戸城に登城する大名・幕臣の行列で鑓などを投げ渡すように「なったのである。
この通達は大名は・幕臣に宛てたものであるが、このとき武家に奉公人の中間や小者を斡旋していた「人宿」といわれた人材派遣業者が呼び出されてこの通達を申し渡された。そのとき人宿は町役人ともども誓約書を提出している。武家奉公人の中間などが場所柄をわきまえず粗暴で下品な言動をしていいたことは、早くから問題になっており、幕府もしばしば禁止していた。これらの派遣された人材
は「渡り者」と呼ばれていた。この通達が暮れの押し迫った時期に出されたのは江戸城参賀や諸大名以下の晴れの場、年始回りにトラブルを心配したからである。通達は大名などに出されていながら申し渡したのは人宿に対してだそうです。何か変である。奉公人は人宿から斡旋された者ですから、年季奉公の間は大名等の家来であるからには主人である大名が取り締まるべきである。
また武家屋敷は治外法権をもち、中での出来事町奉行は関与できなかった。そうなると主人である武家の責任は問われていないのである。一方誓約書を出している人宿である。通行人に迷惑をかけたりの行動を「がさつ」と表現しているのである。
武家が軟弱になっていく様は田沼憶次時代である。中間が鑓を投げあげるしぐさは武家が下々を統制できない様なのである。持ち鑓は主人が戦場で使用する武威の鑓であり、長柄は奉公人が集団でいっせいに使用する統一された槍である。武威の象徴である者を投げてもてあそぶのは本来なら手討ちにされて仕方のない行為であるはずである。そのように重視された槍を投げるのは大胆不敵というよりも武家社会が解体に向かう時期の始まりでもあった。このような奉公人の行為は自分たちの力を見せつけることにもなった。さらに「がさつな」行為は行列そのものは華やかになり、装飾化されていくのであり、その象徴が「奴の槍投げ」だったのだそうです。
小冊子・「本郷」・吉川弘文館2009/11/no84

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