2009年12月4日金曜日

神様の贈り物


おはようございます。朝の冷え込みがそれほどでもないと、目覚めがゆっくりです。それでも御隣は毎日5時には電灯がついています。
武蔵関の公園の池にまたカワセミがやってきて弓の仲間が、デジカメで撮った写真を見せてくれました。1000画素、望遠で10倍あると、
結構はっきりと飛翔の姿が写せるようです。

細川佳代子さんは中村勝子さんから聞いた山本牧師のお話:
山本牧師は神奈川県鎌倉にある聖ミカエル学院の牧師だった。
この方が日本におけるSO(身体障害者のためにはあったが、知的障害者のためのスペシャルオリンピック)の組織であるJSOC92年につくった。
どんなに医学が発達しても、人間が生まれ続ける限り、人口の2%前後は知的障害のある子どもが生まれてくる。それはなぜかというと、その子の周りにいる人たちに、優しさとか、思いやりという、人間にとって一番大切な心を教えるために神様が与えてくださるからだ。彼らは神様からの贈り物なのだ。という話に中村勝子さんは聞き入った。
知的障害のある子どもたちは、本来は優れた能力や可能性をいっぱい秘めて生まれてきている。けれども自分ひとりでそれを人に伝えたり、発表したり、発揮することが不自由なのだ。だからもしご両親や家族、地域の人たちが、世間では障害いわれているその不自由さ、生きにくさ、困難さを理解せずに、能力の劣った、かわいそうな子ども、何もできない子どもと思いこんで、なにもさせず、ただ保護したり、養護したり、隠してして育ててしまったら、彼らは本来の可能性を伸ばすこともなく、大変寂しい、孤独で不幸な人生を送るだろう。この牧師さんの言葉をきいて私の頭はまさに殴られたようなショックを受けた。これまでの知的障害者をみる目がまったく間違っていたということに気づかされた。それまでは、かわいそうな気の毒な人たち、なんて運が悪いんだろう、こういう障害をもってどうして生まれてきちゃったんだろうと思い、彼らの生まれてきた意味がわからなかった。
心の中ではほどほどに距離を置いておこう、というのが本音だった。そして心のなかで「内の子どもはみんな健常児でよかった」と、どこかほっとしている自分がいたのだった。自分の価値観で、「かわいそうな人たち」と決めつけ、「同情心」しかもっていなかった私。障害があることは不幸でも不運でもない。理解トサポートがない環境に生まれてしまったことが不幸なんだ。しかし大きな光も感じた。「ああ、すべての人間には生まれてきた意味があるんだ」と。

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