2009年12月11日金曜日
歴史雑感
おはようござます。こんどは魚の粕漬を御送りいただきありがとうございます。あの樽詰めが庄内らしい包装ですね。まだ封は切っていませんが、お礼を先に申し上げて
おきます。
小雑誌にはときどき面白いことがのっています。学生の生協の本屋さんに無料で置いてありました。西東京市の図書館では岩波の図書など結構揃っています。
対談:史跡めぐりの楽しみ;俳優刈谷俊介と佐藤信・東京大学大学院人文社会系研究科教授・・・本郷・吉川弘文館2009/11/no84から
作り過ぎた景観:我が市の下野谷遺跡という縄文時代の環状集落の遺跡がありますが、
竪穴式住居が何戸もあり、大分大勢の人が住んでいたように見えますが、長い年月の間に後世の人も建て替えているので、如何にも多くの住居があったように思われるのでそこは違いますよという歴史資料館の学芸委員の話でした。
吉野ヶ里遺跡も一度みてみたいと思っていますが、この対談でいわれているのは、実際に見る場合はは割り引いてみないといけないようですね。
県の教育委員会がやった範囲の建物復元はまだ穏やかだったのですが、今テーマパークになっていました。復元するさいに耐久性をあげて物持ちがよいように立派につくり過ぎてしまう。
ということでした。
馬の特別な走り方:絵や高速度写真で説明しないと、伝えにくいことですが、昔の絵では前後の足の位置からいうと、左右前後両足をそろえている犬の走り方の様でした。実際は左側が接近していれば、右側は広がっている。違っていたのは高速度写真がなかったから。
それとは別でが特殊な歩き方が説明されていました。木曽馬にしても、道産子にしても地道という歩き方ができる。要するに側体歩。これは前足と後ろ足とがおなじ方向にでるという歩き方です。これは今の馬は絶対にできない。これは通常に歩くときはやらない。駆け足のときにそういう歩き方をする。そうすると積んだ荷物がゆれないので合理的なのだそうです。
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