2009年7月4日土曜日
わたしの場合の「学ぶ」
新聞の翌月号では「学ぶ」という特集号の予定です。私の場合、当初現役を退いて、3ケ月位は自由気ままな生活が出来るようになったが、それを超えて転進に苦慮しました。
そこで40年も続いている中学の同級会、高校の同級会のほうへの参加してみますと、ガンによる告別式の参加が多いし、健在の人でもなにかしら病気を抱えている。学生寮のほうでは、多忙であった仕事を無理をして片つけて、海外に旅行し、成田から車で帰宅途中、時差による眠気でトラックと正面衝突であったが、軽傷で2月で治癒。本当に万事塞翁が馬です。
私が陶芸を習ったのは、公民館の講座でした。講師は吉田先生で、1回程男の料理教室の先生でお会いしていましたから、陶芸をやっていることは知りませんでした。
そこで学んだことは、陶芸の学び方に、先生が手をとり、足をとりで本格的なものを作るように教えてもらうよりも無心に、素人が作るのは突然才能が花開いたりもあるから頑張ってくださいということでした。素人は、これは無理だろうという怖さがない、たしかにそのようです。それと「上手く見せよう」ということもなく、稚屈には味が出るというこのオダテにほとんどの人がのってしまったのです。
一番初めはコーヒーカップで、粘土の紐でカップの形にしてゆく手び練りでした。それとカップをのせるお皿の制作でした。主にこの程度しか教えていただいていませんが、12人の仲間でこの講座の修了者は、この程度では物足りないでしょうから、あらたにグループを作ってみたらという公民館の伝統的な指導があって、一時的なものではなく、継続することになった。
その後,別の公民館で「陶器の歴史」はこの講師はとても美人でしたので欠席者はほとんどいませんでした。国立博物館までいって縄文土器から、有田・伊万里、備前などなどの変遷具合などを学び、市内にある遺跡の縄文土器の縄模様をどう作るかの講座、近隣の博物館にはかならず土器が展示されている。あちこちでしった雑学がつながってきて面白くなってきました。お手本として、簡単そうに見えるものが、特に小さなとなると犬が豚になったり、そっくりマネすることが難しい。だんだん似て来るが、似せることで、犬の特徴の要点が多少なりとも分かってくる。
陶芸の吉田先生は料理を教えていますが、料理の皿はこういうものが欲しい、ということが作陶の動機だったようです。我々の作品を公民館まつりでの展示するお知らせを通知して来て頂いた時に、先生は盆栽もやっているのでその鉢も作っているとのことでした。我々の仲間には、陶芸教室に通っていた人、絵を描いている人、箱のデザイン、映画を作っていた人、などセンスが優れている人もいます。
私はひたすら、素人の怖さを追いかけていますが、、素人のマンネリになりつつ、もがきながら、マイペースで下手の横好きを続けています。またデパートや博物館で陶芸作品をみていると、どのようにして作るのかとか、縄文土器をみれば古代の人との対話をしているような気持ちです。
写真は調布市にある陶芸教室に見学にいって撮影したものです。
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