2010年6月23日水曜日

パイフオルガンが400年の眠りから覚める


おはようございます。5月20.21の通信でフランスでは田窪恭治さんが、林檎の礼拝堂(※1、※2)を修復され、今度知ったのはスペインの辻宏さんの下記パイプオルガンもそうでした。
日本人はその古さの荘厳さをよく分かり、外国のものであっても、救いの手を差し伸べている。これは素晴らしいことで、下記のテレビ番組で次はどんな日本人が善行を積んでいるのかを
知ることになります。日本の外務省や、それぞれの大使館でもこれらの紹介をしてくれているといいですね

世界を変える 100人の日本人:辻宏:パイプオルガン製作者2005年没
日本を代表するオルガンビルダーの辻宏さんが逝去されてから5年が経ちます。
辻さんはスペインのサラマンカ大聖堂のオルガン修復を通して岐阜県とサラマンカ、日本とスペインの親交に大きな功績を残した方だそうです。。
サラマンカホールという名前の由来となったスペイン サラマンカ市との交流と共に辻さんの代表作となったサラマンカホールのパイプオルガンをより一層響かせていきたいとの思いで辻さんと交流の深かった皆様を 出演者に迎え、記念のコンサートが企画された。世界最古で国の宝でありながら、400年も放置されていたパイプオルガン
12年もその大聖堂に通い続けて、現地の人達の信用を得、3000万円もの資金を日本国内で支援者を募り、1989年から修復開始8ヶ月の期間をかけて修復。オル ガンにたまった埃は100kgにもおよんだとか。
残念ながら、辻宏さんは2005年に永眠。翌年にはサラマンカ大聖堂で追悼ミサが行われた。
岐阜県県民ふれあい会館サラマンカホール館にスペイン・サラマンカ市の大聖堂にある ルネサンスオルガンのレプリカがある。
その記録のいったんはhttp://kageran.seesaa.net/article/149700891

※1:http://efemeral-spring.blogspot.com/2010/05/blog-post_20.html
※2:http://efemeral-spring.blogspot.com/2010/05/2.html

2010年6月22日火曜日

監督の正規業務<雑務


おはようございます。W杯の強豪国ブラジル以外のイタリア、フランス、スペインは苦戦しているようです。キーパーの選手は自分で点をいれられないし、好守によって自分のチームの危機を救うことにはなっても、
逆転する力にはなりえない、点をいれられても、それに拘って、守りを疎かにできない、大変な役目のようですね。日本も1勝・1敗でこの先どうなるのでしょうか。
監督の仕事は、作戦、選手の選択、だけでなく、マスコミ対策までもこなさくてはいけない。ウルサイ外野は常にいるようです。大変です。

日本人はなぜシュートを打たないのか?湯浅健二より
<オシムとギド>
1990年のイタリアW杯のグループ第一次ドイツ対ユーゴスラビアだった。その試合でダークホースの呼び声が高かったユーゴを「4対1」で粉砕した。そこでドイツのギドハユーゴの天才サビチェビッチを完ぺきに抑えきった。
組織的なサッカーを目指すオシムさんは、ユーゴには天才が並みいるほどだったが、天才を中心に使うのではなく、組織を重視しているタイプをうまくバランスさせる選手起用で発展ベクトルに乗せていった。
本国のメディアやファンはボール扱いの巧みな魅力的プレーヤーをベンチにおくオシムのやり方に対して、不満をあらわにしていた。これにはオシムも仕事がやりにくい。W杯の初戦ということもあって、ドイツ戦では一般ファンが望むとおり、天才たちを中心の布陣にした。もちろんドイツは組織プレーに長けていたので願ってもない、編成だった。ユーゴの選手は動かずに足許ばかりのパスを要求する(また守備はおざなり)ユーゴの天才達をことごとくピッチから消しさった。その一人が天才サビチェビッチを徹底的にマークした。その後オシムは「外部ノイズ」という邪魔者なしに推しすすめることができたという。その天才連中のなかで言わずとしれたドラガン・ストイコビッチがいたが、彼は攻守にわたる汗をかく組織プレーに長けた天才で、
日本サッカーに対しても理想的なプレイイメージという視点で多大な貢献をしてくれた。

ドイツの選手ギドはユーゴの天才のサビチェビッチをどうやって抑え込んだか?
先ず選手を知ること:ビデオを見て相手の特長を把握する。相手の得意なプレーを観察し、そのタイプや勝負のタイミングをしっかり頭にいれる。アクションを起こすときのの身体の動きのクセなんかも気のつく限り把握した。それで相手のプレーに対処するという意識が強すぎたら、受け身のリアクションになってしまう。相手がどのような体勢でパスを受けるかというところまで意識して自分のポジションを調整したりするんだ。「もちろん天才肌の相手にはボールに触らせないのが一番だよな。まともな
体勢でトラップできないようにプレシャーを掛けるんだ。

2010年6月21日月曜日

スポーツは政治に引きずらている


おはようございます。W杯をみていると、野球よりも一段とおもいしろい。強者がかならず勝つとは限らず、結構相性や戦術や、怪我人などもろもろの要素があって番狂わせがあるので、目まぐるしい。
であるがゲームの中で選手の動きは解説があってもなかなか分かりにくい。段々分かってくるでしょう。

ニッポンはどうすれば勝てるか?玉木正之×金子達仁;アスベスト発行

北京五輪開催決定の背景:
とにかくアメリカが北京でオリンピックをやりたかった。決定の99年の段階で、大阪が「立候補する」といったとき、ニューヨークが立候補して「敵はNY」になっていた。そのとき北京は全く沈黙だった。1週間でNYが取りやめたのは、米政府かコカコーラの圧力だった。米中の国交回復したニクソンのバックはペプシの影響で、それまではペプシの舞台だった。あの広大なマーケットにコカコーラも参入するために、画策した。北京は北京で立候補をずっと言わない。99年の長野オリンピックのときに、中国の体育局長が日本にきて記者に取材されても「まだ考えていない」とかいう訳だよね。もっとアメリカに金を出せよというメッセージですよ。
続いてパリが立候補したのは、北京有利の危険を感じたIOCが裏で動いたと推測される。これは第二の天安門事件を恐れたため。ヨーロッパは中国との経済的な交流に遅れていたので北京を推したくなかった。その後中国がどんどん国際社会に入ってきた。IOCも「これはもう北京でもできるだろう」という判断をしたんだよね。
「2012年はオレ達で決まり」とNYは思っていたが「9.11」が起こってしまった。アメリカはイラク戦争に反対したパリだけには絶対やらせたくない。ロンドン・2012年開催が決まったのは裏の国際的な経緯がある。
オリンピックは政治でスポーツじゃない。
クーベルタンはフランス人で、第1回をフランスでやろうと思っていたら、オリンピックと名前をつけるなら絶対に譲れないギリシャがでてきた。
ヒトラーのベルリン、モスクワ、ロスアンゼルスを出すまでもなく、全世界で聖火が問題になっているから、東京五輪の時、日本もしぶとく、旧大日本帝国占領地を全部回った。全部「ごめんなさいルート(素直にいえば平和の聖火)」ですね。YS11でまだ占領下の沖縄にいって日本に上陸。その時の最終ランナーが45年8月6日生まれの坂井義則さんは19歳広島生まれ。

モスクワ五輪で79年12月のソ連によるアフガニスタン侵攻で翌80年にボイコット、日本は追随、ヨーロッパの選手たちは開会式に自国の国旗ではなく、五輪旗で出場した。ソ連はテレビにこの五輪旗は写さなかった。
オリンピックには政治の部分と、スポーツの部分の2面性があるが、ヨーロッパはいまもこのスポーツの面で騒いでいない。

実行体制とズッコケ



おはようございます。ある人から高級ブランドのグッチではなく、「手作り愚痴」をいただきこまりました。愚痴をゆったり聞いてあげるにしても、愚痴をいう人も聞き手の配慮があってほしいが、愚痴ばかりをいう人はそれに気づいていない。やはり近寄らないに限るかな、影響度が大きいから。自分をどう他人の目でみるかも難しいのはたしか。

問題を解決するに当たり、少子どもの対策も、子育ての親の意見を聞き、それを施策にいかしているフランス人の実行力には感心します。
分業というか、「知恵」を出すには少数精鋭は日本の戦前の教育制度もフランスに倣ったものだったそうです。

パリ日本文化会館館長磯村尚徳:日本人はなぜ世界が読めないのか。(2002年11月発行)
日産が奇跡的復活を遂げた理由

カルロス・ゴーン氏が日産に乗り込んだ時、その若さに不安や驚きを隠せなかった人も多かったと思う。日本人ならせいぜい課長ぐらいの年齢だから。
フランスは典型的ナメリトクラシー(能力主義)、エリート主導社会である。名門校をでれば39歳で首相になれる国だ。300人程度のポリテクニク校出身のポリテクニシアン、未来のゴーンたちである。

夢のような百戦百勝の軍隊を作るには、兵士がドイツ人、下士官は日本人、若い将校はポリテクニシャン(国立理工科学校出身=イックスという)のフランス人、そして将軍や政治家はアングロサクソンがいいという小話があるそうです。
このイックス出身はハリウッドのユニバーサル・スタジオのまで進出したジャン・マリー・メシエ社長、ルイ・ヴィトンの総帥ベルナール・アルノー。

日本進出のフランス企業のイノックスに聞くと、彼らは企業戦略の策定ヴィジョン・コンセプト作り、大原則の樹立などは自分たちでやる。実行のこまかいところは、目配りする優秀な日本人にすると異口同音にいう。
ゴーン社長は「日仏の補完性は赴任する前に考えていた時より、よっぽど有効に働く」と語った。日本人の若い優秀な人が育ち、また育つような環境作りが必要だといいたい。
今の日本でカッコいいのは、頭が良いことではなく、ずっこけることだ。ビートたけしは非常に頭がいいが、それを日本で見せては損なので、フランス向け映画監督として北野武の知性を見せるという使い分けをしている。頭の良い人材を盛り立てる周囲の寛容さが」ないと、秀才のほうも人気を得ようとして東大出がカラオケでばかを演じるようなムダをやめないと、永久に国際競争には勝てない。カルロス・ゴーンの最大の教訓はそれだと磯村さんはいう。

2010年6月19日土曜日

ラーメン道


おはようございます。日本人は○○道という礼儀作法の様式化を好むようだ。弓道もその様式の傾向が強いので、武術の要素をないがしろの方向に傾きすぎて世界大会の惨敗にもつながったように思える。
ラーメンは庶民の食べ物なのに、それを作法のごとくにしたことを茶化した映画でもあり、この映画ははやらない美人の未亡人のいるラーメン屋を地域の人気ラーメン屋にしたて、仕立てる過程の高揚感が終われば又別の人生の生きがいタネ探しへとその場をさる。なかにはラーメン屋開業のノウハウがカイマ見られた。


「たんぽぽ」という伊丹十三監督作品

ラーメン道とはいっていないが、40年という老先生大友柳太郎(O)が、渡辺謙(W)にそれを教えるシーンだった。
店主が2人の前のカウンターに出来あがった丼を丁寧に並べた。受け取った渡辺謙は丼に両手をそえ、早速にも丼からスープを一口 口にした、今日の勉強のことを思い出したようにハットして
W:「スープと麺とどちらが先に食べたらよいでしょうか」と尋ねる。
先生は渡辺を制して、
O:「ラーメンをよく見なさい、そして湯気を吸いこみなさい」「しみじみラ-メンを鑑賞するがごとく見渡しなさい」

W:渡辺は「はあア」と仰天する。

先生はラーメンを割り箸の先でゆっくりと撫でるがごとくにする。

渡辺は「どうして撫でるのですか」
O:「ラーメンへの愛情の表現がそうさせるのです」  「浮かんでキラキラ光っている脂の珠、浮きつ沈みつしている輪切りのネギ、湿ってきた黒き海苔、それぞれ美しい品々のごとくです。」  先生が焼豚のところに箸をのせた。
W:「焼豚を先に食べてもよいのですか」
O:「三枚の焼き豚をいとおしむように箸でつまみ、おもむろに丼上方の右に沈めます。」
こんどはささやくように、先生は渡辺に「心の中で詫びるがごとく、焼き豚につぶやくのです」・・・・・・「あとでね(いただきますから)」

それから麺をすするがごとく。あとの詳細のシーンは省略されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29

帰宅して思わず、同僚に肩が凝ったわ。なにが「あ と で ね」憤懣をぶちまけるのでした。

2010年6月18日金曜日

米・印の協定の?


おはようございます。もう夏の扉は全開で、我が家でも今年初めてクーラーをつけました。南アフルカは今冬だという、監督も背広の上に、薄い防寒の服をきている人もいる。これだけでも地球は広いと感じます。その内発展著しい中国や、インドもW杯に出てくるようになるでしょう。
米国がインドと協定を結んだ意味が偶然手にした下記本に書いてありました。

アジア三国志:中国、インド、日本の大戦略:英《エコノミスト》誌元編集長・ビル・エモット

2006年の核に関する米・印の協定は核拡散の懸念を脇におしやり、冷戦時代にはソ連と同盟を結んでいたインドと緊密で永続的な友情を結んだことになる。インド経済はそのころには力強く成長していた。インドは反西洋的な思想をほとんど捨て、世界の大国として受け入れられることを願い、そのために助力を欲していた。そのような理由で核拡散の恐怖よりも民主主義国としての地位が優先された。米・印との協定には民主主義国は核兵器を拡散しないと確信できるという意味合いが含まれていた。たとえその国が、インドのように核拡散防止条約の締結国ではなく、核実験を放棄しないとしても、信頼できると判断したことになる。さらに重要なのは、インドが中国という台頭する勢力と均衡する可能性があることだった。ブッシュ大統領は、ニクソンが中国をソ連に対抗させたように、インドを中国に対抗させようとした。当然ながら中国はこれに不服だった。米も印も、インドの核に関する両国の協定の原因が中国であることはいっさい口にしていないが、インドが特別扱いされた理由はほかに見あたらない。インド経済の支援や民主化の奨励だけなら、もっと角の立たない方法がいくらでもあった。中国政府が事情を察したことは明らかだが、表だってこの協定に文句をいいはしなかった。打つ手がないのがわかっていたからであるし、中国にたいしてとりわけ攻撃的な取り決めでもなかったからだろう。

アジアの一人当たりの所得は1950年から2005年までのあいだ7倍に増えた。西洋と比較してみると、1780年以降の産業革命で一人当たりの所得を倍増するのに、英国では60年近くかかっている。米国は1840年以後約50年かかった。韓国、台湾、中国はすべて離陸期の最初の10年で倍増を成し遂げ、つぎの10年でさらに急速にそれを繰り返している。ところが驚くべきことに、経済データーの大家のアンガス・マディソンによれば1820年には中国とインドだけで世界の生産の半分をしめていたという。この半世紀成功を収めているtpはいえ、今アジア全体でその時代のシェアの半分以下に達しているにすぎない。世界の人口の「半分を占めているのだから、シェアも半分でなければならない。1990年から2006年にかけて、世界のGDP占めるアジア諸国のシェアは20.6%から22.3%微増しただけだ。アメリカのシェアは25.5%から27.5%に増加している。
だが統計から大きな動きが見いだせない理由は、中国が元安政策をとっているために数字にそれが表れてこないのだ。ドルがアジア通貨より強かったことが、世界の生産におけるシェアの移り変わりを小さく見せていた。米国議会は、中国に人民元を再評価し、ドルに対して27.5%以上の切り上げるよう要求している。国際収支の黒字がGDPの10%を超えており、通常であれば通貨の再評価をおこなうのが当然なのだ。

2010年6月17日木曜日

世界弓道惨敗


おはようございます。茶道、華道、禅、武道などヨーロッパで愛好者以上の理解がされているそうですが、私も弓道をやっていますが毎日新聞にも掲載されていて知った、世界大会の結果です。日本は予選で敗退です。
どうも、推察するに的に当てることと、「道」ですから、舞のような所作の美しさの2つの面があり、その所作の面に重点を置いているからではないだろうかと思われる。
どのようにして、この有様を解決するか猛省が必要です。
(この結果なら、我々の趣味でやっている成績とかわるところがない又日本における大会の記録を探してみましたが、順位の記録はあっても、的中数が書いていない。武道を放棄しているのではないかと思われた。)

第1回世界弓道大会(東京)
国際弓道連盟が設立されたのは2006年のことであるが、同連盟が主催する第1回世界弓道大会が行われたのは4月25.6日の2日間(米国の参加はなく、19ケ国)
○○中⇔当たった数
団体予選は3人×4射=12射中、9中:スイス、 7中:英国、 6中:アルゼンチン、  5中:ドイツ、イタリア、スエーデン、 4中:フィンランド、フランス、カナダ、ロシア、   3中:日本、 2中:オランダ、アメリカ、ニュージーランド、ポーランド            1中:ルクセンブルグ、 0中:ベルギー、ノルウエー、スペイン
これで日本は決勝参加できず(3人がそれぞれ4射やって1中ということになる)
決勝トーナメントは4中までの10ケ国で決勝は英国8中とフランスが5中でフランスが優勝。
個人戦(記録がない)は3段以下はスイスの無段、4・5段はアメリカ4段、称号受有者優勝者:ドイツの教士6段、2位フランスの教士6段、

個人戦は1手(2射)で皆中(2中)のみ決勝進出可のハードル、
4.5段之部:1手皆中は上記の米国人1名のみで、決勝戦なくして」優勝。
称号受有者之部:上記の2名で、遠近競射でドイツのホッフ選手が栄冠に輝いた。
日本の弓道連盟などの記録を探しても、順位の記録はあっても、成績の記録がない。
団体リーグ戦の準決勝でフランスが3人×4射で皆中があったとしるされている。

審判長の講評:来賓の方々が並ぶ会場、一番最初野入場、高段者としての範示、日本が優勝して当然といったプレッシャーは大変なものだったでしょう。
一番悔しい思いをしているのは選手諸君でしょうが、しかしこの敗北は選手だけではなく、我々指導者側の問題でもある。形や技術に偏重し、心、精神、メンタル面の」指導にどう取り組んできたか、反省が求められると強く感じました。
外国選手の中には心のあり方について正直に自分と向き合っている人を多くみかけました。立派なことです。
海外の方に体験してほしいということから、今回日本選手は参加を見合わせたが、やはり海外の人たちに記憶を残して帰っていただきたかったと思いました。
次回以降、どのような形で参加するかは別にして、例えば国体で活躍している選手や大学生、さらには高校生、中学生等も海外に見ていただける方法はないか考える余地はあるでしょう。
(2010.6月号、弓道:全日本弓道連盟発行)