2009年10月22日木曜日

石川遼選手


おはようございます。子供の縁で家内の友人となった人のご主人は孫育て(長男の奥さんがガンで亡くなって、幼子の2人を面倒みている)で忙しく、再診の指示がないのもあって、5年目でガンが再発、厳しい治療がはじまったが、その治療の合間を縫って、クヨクヨしても始まらないということで、武蔵カントリークラブの日本オープンにいってきて大変なギャラリーだったそうです。

2009年日本オープンゴルフは3人のプレイオフは7回目、1991年の下関以来である。
どのホールでやるかは一番ギャラリーの多い、難易度のNO1である481ヤードpar4の18番だった。
プレイオフになった経緯は最終組の石川と今野16番時点で小田龍一選手が3人ならんでいた-5を、最後の18Hでホールでバーディをとって-6とし、待っていた。
最終組の17番で今野康晴選手(6勝)は-6とし、最終18番では-6を維持して、刻んだパープレイを狙っていた。
石川遼選手はやはり17番で難しいところを-6とした。18番にきて、バーディチャンスが
やってきたがわずかのところで実らなかった。

そこでテイオフは
1は小田、2番目は今野、3番目が石川選手だった。
最初の一打は小田選手がフェアウエイの真ん中であと130ヤードの好位置で他の選手にプレッシャーがかかった。
今野右あと195ヤード、石川は左よりの長いブッシュのラフ

2打は3人ともカップのあるグリーンを外す。(誰もがアドレナリンが出過ぎているようだ)
3打のグリーン上は今野50cm、石川60cm、一番不利なのは小田120cm、しかし小田はがっちり打つしかないので迷うこともできず攻めが入り、あとの2人もパー。
二回目の争いになり、18Hのティグランドに戻った。
結局はグリーン上だけのことに限定すれば小田選手がバーディチャンスの100cmの位置。今野選手も2オンしているがカップの左がわ大きくずれ、アプローチは難しいラインだったが、ボールひとつで入らず。
石川選手は2.5mのグリーンのエプロンの位置からバーディを狙ったが、カップの淵を半周
して外れ、小田選手がものにした。初めての優勝だそうです。(いつもギャラリーで観戦の奥さんに彼の打球が当たったんだそうです。これはペナルティにはならず、小田選手はこれが最後の「ツキ」を呼んだと毎日新聞に書いてあった)
どの選手も挑戦の姿勢を崩さず頑張って見ごたえ十分の試合だった。ギャラリーも4周もする
ほどで、禁止されている選手を携帯で撮影する音でプレイを妨げていたが、これにも煩わされずにプレイしなけらばならないのが、大イヴェントの難問だそうです。
http://golf.allatanys.jp/
観戦についてtwitterで実況もしていたそうです。

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