2009年10月6日火曜日

法然上人


おはようございます。パソコンを操作していて何故タイピングしても、字が打ち込まれないのか、タイピングの強さが弱いのか、PC再起動してみたり、パソコンの調子がおかしくなってメーカーに相談しようと思っていたら、ふとキーボードの電池の寿命切れによるものと分かったのです。機械も「めし」がないと、働けないというオソマツな一席でした。

お釈迦さんが亡くなって500年(BC150から250頃のインドの大乗仏教の学者で仏教の革新派)その人達は自分たちを「大乗」大きな乗り物とよんで、それまでの釈迦の弟子達を「小乗」といった。日本は大乗仏教の国です。大乗仏教がこんなに残っているのは日本を除いてはチベット位です。中国や韓国では主となる宗教は仏教ではなく、儒教です。現代の韓国人の半分はクリスチャンです。(北朝鮮はどうなのでしょう?)日本の仏教はどちらかというと、在家仏教、家にいて普通の姿をして仏教の信者であるという色彩が強い。聖徳太子の和の論理は、意見が対立したら2で割るような和ではない。和があれば、つまり皆が互いに信用していれば、徹底的に議論できる、議論ができれば必ず正しい意見が用いられ、そうしたら世の中はよくなるという和ですね。日蓮は最澄が始めた天台宗の中から出てきた点、天台宗は天才的な空海の真言とは違い、弟子の多くが輩出した。天台は隋の仏教で、隋の煬帝が崇拝した天台智ギでした。
法然は賢い人か金持ちしか極楽へ行けないというのは仏教の本来の平等の精神に悖ると考えた。阿弥陀様がそんなことをさせる筈がないというふうに法然は考え、諸教典を調べて、唐の時代の七世紀善導が書いた「勧無量寿経」の注釈書で「南無阿弥陀仏」といえば誰でも往生できるということを探し出した。この宗教は大いに流行し、この浄土教は短期間に国中に広まった。そうなると昔からの既成の仏教、天台も真言も影響を受けて衰えれしまう怖れから反発を招き、法然は晩年75歳にて四国に流罪になり、八〇歳で戻り知恩院のあるところで亡くなった。一遍も法然の孫弟子で、この人の時宗は念仏していると、楽しくて楽しくて仕方がなく、自然と踊らざるを得ないという訳です。この時宗が盛んになって、河原四条の京極にも念仏道場があり、そういう歌舞音曲が影響して南座とか祇園とか京都の遊び場ができたのだそうです。
出典は申し訳ありません:日本の深層:梅原猛か仏像と仏師の話:久野 健  学生社のどっちかです。

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