2009年10月9日金曜日

オウムの一面


おはようございます。こんどの台風の凄まじさといったらないですね。暴れまわって、蹴散らして去っていきました。皆さんのところは何事もなかったですか?

新屈せざる者たちより:辺見庸との対談より

辺見庸:初公判の時に麻原をみて、実に普通だと思ったんですね。ほとんど無感動にしゃべりますもんね。言葉に情念、肉感性がないといいますか(こういうところが教祖にあうというよりも、故意にこのような雰囲気になったのか?)被告人の声が一番肉感的だった。初公判のときに、浅原を見て、実は普通だなと思ったんですよ。普通ぐらい怖いことはないという意味なんですけど。同時に、これは半端じゃない、いい玉だなと思ったんですね。被告人は大抵は、情状を期待して殊勝にしてみたり、自分がびびっていないことを強調したりしますね。ですから、浅原というのは、私には分からなかったですね。彼が一番「東洋の暗さ」を体内に持っているのかもしれない。
三島浩司※:中国の話でいうと、皇帝は自分で何でも決定する。しかし日本の帝の場合は仕事をしたらあかんのですね。父性的な面と母性的面の両方巧みに持っていないと多くの人を引き付けることは出来ない。浅原は弟子たちを手足のように動かしたというような、そうでもないような、」つまり下の人は、好きな人がこうしてほしいと思うことを、率先してやってしまうという構造があったんやないかなと思うんです。
辺見:オウムというの日本の社会なのじゃないか。主体のない空気というか、何となく全体がそういうふうな雰囲気を醸し出して、それに皆が乗り、最終的にどこにも責任のない意志決定が行われるということがしばしば行われるということがしばしばある。だから、誰が主犯っているのかなと。
「東洋の暗さ」そのもの世間様はいま、麻原が全部指示したんだという構図をとにかくつくりたがっていると思うんです。そして、それをもって極刑の理由にしたい。これがマスコミを含む世間の、かなりすさんだ無意識だとおもうんですよ。いったいだれが決定したのかわからない形で結論がでて、行動指針が決定がなされていく、これを裁くのは難しいはずですね。
某大新聞の主張は罪状を認めろというだけのは話じゃないですか。裁判はお白州でいいんだと言っているにすぎない。新聞の不偏不党も司法の独立も、つきるところインチキだと教えたことぐらい。マスコミの本当の姿がみえたなということ。

※1941年大阪生まれ、早稲田大在学中の65年に都学連委員長として日韓条約反対闘争を指揮。卒業後弁護士、日本赤軍など過激派の公安事件を扱う。浅原彰晃被告らの弁護に従事。

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