2009年10月20日火曜日

野坂暘子という人


おはようございます。この人は野坂さんの奥さんです。宝塚にいたが、あの人に口説かれ、だまされて結婚したみたいなものといっています。

毎日昭如さんは外で飲みひたり、ほとんど自宅に帰ってこない日々だったそうです。
ベッドの下、書棚の裏に酒の空瓶がゴロゴロ、犬か猫かのように地中に隠していることも分かったそうです。酔いが覚めて、また飲みたくなっていたのでしょうと。
あまりそのことを注意すると帰ってこないので、控え目にしなければならなかった。本来は野坂氏のこんなハチャメメチャな様子(若い頃はまっ裸になって往来で交通整理していた)の調子だから、野坂氏が廊下を歩くときに、両壁に右に左に歩く、脳梗塞になっていた。もちろん自分の言い訳でもあるといいながら普通脳梗塞も予想できた筈ですが、そのときそうは思わなかった。もうウンザリしていたこともあったそうです。それ以来自分のクヨクヨしない性格もあって、介護を始めた。誤嚥もあって食べるものは全部ミキサーにかけてトロミをつけろといわれたが、そうしても、食べる楽しみの大半がなくなるとおもいながら、奇跡的に誤嚥から解放されたそうです。物を書くにしても右半身麻痺になっても不自由であるが、一番介護で思ったのは自発的な行動を促すことということで、極力机に向かわせることにした。
(奥さんが筆記している。)
介護をして感じたことは、ヘルパーさんはたしかにプロですが、私は野坂昭如のプロですという。(様子で何を望んでいるかがわかるから、しかし頑張るんだと自分を叱咤激励しないと介護に向かうことができないのもシバシバだそうです。又兵隊ゴッコで号礼をかけて、起立の号礼で少しでも立つ力を促しているそうです。これに素直に答礼をしてくれるような遊びもしているそうです。)
野坂は若い人になにかにつけ、いずれ死ぬんだからと、この長い歴史的観点からいえば、20歳ちがっても一瞬の違いにしかならないと語っていた。野坂氏が生き続けたい訳は、この戦争で親をなくし、妹と2人残ったがこの妹もが飢え死させた。
戦争していいことは一つもなかったことを語り続けたいのだという。いずれ死ぬといっても、
生きていることを大事にしたいという。

あの時代は往来での全裸姿でもバンカラとよんで許容範囲が大きかったですね。野坂さんも障害をもったから、今の生を大事にすることになったのだと思います。

0 件のコメント: