2009年2月1日日曜日

焼肉


おはようございます。一昨日の武蔵村山市にある「かたくりの湯」では、どこでもあるように、食堂もありビールも飲める。そのオカズに「モツの煮込み」を頼んだ。チョット塩辛かったが、他の皆も同様な注文だった。田舎の山形では芋煮会の肉は日本海側では豚、内陸のが月山をこえたところでは牛肉なのです。そのような違いが東西であったということです。
田舎の同級会で聞いた話は餌の残飯の違いで、多ければ豚の飼育、少なければ草中心の牛飼育
の違いだというがどうでしょう。
 こういうホルモン焼きとか焼肉について
「ホルモン」について広く流布しているの説、関西弁で「ほうるもん=ホルモン」だということではなく、神戸山手女子短期大学教授の奥村教授の調査によればドイツ
の医学用語のホルモンは内分泌物を意味し、ホルモンは内臓から分泌されるので、内臓を食べると精力増強につながるという具合に結びつけられていった。
1941年に大阪の「北極星」という店が「ホルモン煮」を商標登録していたそうです。「もつ鍋」「コテッツチャン(豚の内臓)」といった言葉のまざましい普及ぶり、日本人は空前の勢いで内臓料理を食べ始めている。日本国内の牛だけでは到底まかないきれず,欧米やオーストラリアから内臓を大量に輸入している。
焼肉の普及は下記の無煙ロースターと、焼肉のタレだった。
焼肉も韓国ではテーブルの外で、それが日本においては、テーブルの上で食べるようになり、無煙ロースターの普及によって衣服への匂い吸着が防げるようになって、女性の抵抗も薄れた。また焼肉の大衆化は「タレ産業」・エバラ食品工業は経営の再建に乗り出したときは従業員10名の零細企業だった。ソースやケチャップを作っていたので、肉屋さんと縁が深かったことによる。
そのころは関西では牛肉、関東では豚、タレも67年第一号「朝鮮風焼肉のタレ」牛肉に浸みこみやすく、豚用は牛肉にはむいていない。じょじょに関西にも浸透し、78年には牛肉用の「エバラ焼肉のたれ・黄金の味」が関西地区で爆発的にうれるようになったのは、10年以上もかかった。東西の食文化の違いがあったが、やがて西を狙って出した「黄金の味」が東でも一番のヒット商品になり、肉料理の主役が東日本でも豚から牛に交代したことを告げていた。
(焼肉を食べることで、キムチも食べるようになり、韓流ドラマ、世界サッカー大会の二国同時開催など随分日韓両国は近い関係になったのでしょうね)

日本人の牛肉の消費量;(一人当たり年間):1960年1.1kg、70年2.1kg、80年3.5kg、92年6.7kgになっているそうです。
コリアン世界の旅:野村進:講談社より

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