2009年2月8日日曜日

吉武輝子さん


おはようございます。ウーマンリブの人ということであったが、なかなか本音で生きている素敵な人でした。

人生50年がいまや100年という時代という出だしから始まり、
国家指定の難病(膠原病・左肺きしゅ、酸素ボンベ使用)など難病は沢山経験しました。(下記のHTLをみましたら、ガンにもかかっていました。)
おととし、急に熱、膠原病菌が血液にはいってしまった。娘が厚生年金病院の看護師長で自分の家にきて、私の顔色が悪い、生きている人間の顔ではないよ。→
緊急入院、十中八・九ヤバイヨの状態であったので、この状態を本人に言うべきかで相当迷ったという。というのは五日後には静岡で講演を予定していたり、(ステロイド※注入が命の綱に。但し効き目もあるが、副作用もある。)それも杞憂だった。
3/15には出版パーティ歌って・踊って・の大サービスから帰って翌日が娘のいる病院に入院し、ステロイド点滴だったのだそうです。とにかく帰宅後は命優先で点滴後に体温40度が平熱の36.5度にさがりました。しかし顔は副作用で膨れ上がっていた。
自分はコツソショウなので、筋肉で骨を支える必要があって朝昼晩とトレイニングに励みました。筋トレしているところを医師と看護師が面白半分、人並以上の努力ぶりという評判を聞いて見物にくるが見物料を置いて行った試しがない。性分として、病気についてアレコレ考えない。あれこれ考えても、心配した状況には至っていない。その時々に最善を尽くせばよいのだから。これはとても健全な考えよという。
病気でいながら大分県にいって勉強になったことは、酸素ボンベ2本ホテルに前もって送ってあった。それが部屋に設置されていた。日本の飛行機は酸素ボンベの携帯を認めるが、米国では爆破事件に関連するので認めめられない。寝ていては酸素マスクを、起きてはボンベ携行。
最近医療器具の発達が便利にもなったが、それに伴い、利用する人間の意識が育っていない。こういう医療器具をつけると、余命いくばくもにないような気になってしまうようだが、それは便利で有難いもので、おまけの命をもうひとつ頂いたようなもだから、その分楽しむことが大事。最高の晩年期だとおもえばよい。これらの医療器具をつけて圧倒され、事実ひきこもった母親がいる人が私の話を母親に聞かせたら、ピンシャンと元に戻った。気持ちで負けてしまうことないわ。後期高齢者医療は、持ち点600点をこえると、打ち切りになるの。600点なら9000円の自己負担がこれを超えると16万円になってしまうのが問題だそうです。
孤独死が問題になっているが、動物は其れが当たり前、臨終で枕もとにきても、一緒に死んであげるという人はいないでしょ。それと孤立死は違う。
いろんな人から夜電話くるけれど、電話口に出たら、思いきり元気に輝子よ大きな声をだすの。そうしていると、だんだん自分の気持ちも高揚し、相手も大きな声になってくるの。最初の一声の返事がとても大事。

モットーは病気のデパートではあるが「病気にはなるが、病人にはならない」
オシャレでいること(鏡を見て、下手な揶揄やケナシがないところで、自分
をほめろ。B型は自分でほめてオダテに乗る得な性格よ。
ハードルを高くしなさい(コジンマリまとまるな)
医者とはいい関係をもて。
人と合いエネルギーを交換し合う。
肉体は衰えるけれど、頭の学習能力は使えば使うほど息づいてくる。

http://www.gsic.jp/survivor/sv_01/22/02.html

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