2009年2月9日月曜日

AC&DV:信田さよ子さんの講演から①


おはようございます。男女平等センターでの講演がありました。
家族関係の悩み、人間関係の悩み、摂食障害(拒食・過食)、アダルト・チルドレン、共依存、DV(ドメスティック・バイオレンス)、子どもへの虐待、親への暴力、不登校、引きこもり、子育ての悩み、依存症(アルコール・薬物・ギャンブル・買い物など)、各種ハラスメント(職場・学校)PTSD、生き方の悩み などがある。

カウンセリングはアディクションアプローチを基本としながら、カウンセラーの特色ある技法を活かして援助を、たとえば解決志向アプローチ、心理劇などです。また個人カウンセリングだけではなく、グループカウンセリングを積極的におこなうそうです。

勇気をもって相談の場に足を運ぶことができたひとは、すでに問題解決の第一歩を踏み出しているのです。病理をえぐりだすのではなく、そのひとの持っている力を信じ、伸ばしてくれるのが仕事なのだそうです。

009.2.8講演【家族の未来をみつめて】:信田さよ子原宿カウンセリングセンター所長
1946生まれ、臨床心理士。来年で15周年記念、有料のカウンセンリング、30分6,000円、
初回12000円、カウンセラー13名

薬も注射も聴診器もあてないで、形に残さないので、満足をいただいた上で、料金をいただくことは大変。精神科医でも治療の難しく、不十分な問題をあつかう。
地方都市では頼るのは宗教か精神科医であってカウンセラーがいない。こういう場合には医療は無力のようだ。依存症(アルコール、酒、ギャンブル)
地元の名士は精神科医には、地元故(なのかプライドなのか?)相談に行かない。
立派な精神科医は中井久夫先生だそうです。

1989年AC(アダルトチルドレン)という言葉がはいってきてそれが紹介された。
96年ACブームがおきた。(そのころ97.1.17の阪神大震災、サリン事件)
いままでの関心は加害がどういう人間かということであったが、被害者がどういう被害を受けたかということに関心がよせられるようになった。
それで95年を被害者元年という。95年には北京で女性会議があって、DV(家庭内暴力)、男から女への暴力、夫から妻への暴力、兄から妹や姉へ、姉から妹へ、これら被害者をバターロールマン(詰られる人)という。

なぐられ妻症候群はそれまでもあったのですが、そのときも日本で流行語にならなかった。
95年の女性会議でDVが世界中にあり、世にその存在が公認された。
そのDVからのトラウマが共感されたり、トラウマを受けたつらい症状が意識されるようになった。
加害者の言訳:これはしつけであるというが実態は暴力(義理の父に多いようなことをいっていた)

日本では1950年から1960年ころはこのようなシツケは愛情といわれていたし、そうおもわれていた。誰も虐待とは思わなかった。
その前の1945年の敗戦直後には「捨て子」こそが虐待と思われていた。
70年代になると、コインロカーに赤子を入れた事件があった。これが近代的捨て子というのは経済的に親が追い詰められての捨て子であったのが従来と違い、異質であった。
このように時代によって注目するところが変わってくる。阪神淡路大震災によって、被害者に注目するようになった。
DV(内閣府)、虐待には扱う官庁がことなり、DVは国の機関でも小さな部署である。
急に虐待が出現したのではなく、前からあったもので、注目されたがゆえに世の関心が引き寄せられた。虐待への関心はヒューマニズムで個人的にも誰しも共感できることであった。
DVで肋骨が3本おれてもニュースにはならなかったが、子供の虐待の扱いは大いに異なる。DVは愛し合ったもの同士の中に生まれているという認識にあり、助けてといってもどうにもならなかった。交番に暴力をうけた妻が駆け込みして、夫がすぐ飛んできて「お世話になっています」というと巡査のほうも妻にむかって、ほらそうは言っても、すぐ迎えにきてくれるじゃないか。一緒にお帰りなさい」と言われ、帰宅後の暴力は何倍にもなる。それが虐待防止法が出来て、配偶者間暴力防止法(夫が妻を虐待しているが夫からの妻虐待を防止する法が実態に合致しているが間という表現になったとのこと。)ができて世に認知された。
社会がこのようにぶっ壊れてくると、いっぽうで「うつ」が減少するという副次的効果が生まれる。それどころじゃないのかもしれないが、いっぽうで、倒産、リストラで自殺する人も増える。

信田さよ子さんのブログhttp://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/2008_12.html  からも引用しています。

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