2009年2月24日火曜日

江戸時代の商人


おはようございます。介護講習は昨日3日目でおわりました。昨年は6日間だったそうですが、介護している人はそんなに長く講習をうけられないということで短縮されたそうです。
しかし、出席者13名中介護している人はわずか1名でした。

江戸豪商100話、江戸店持ち京商人の多角経営:柏原三右衛門、萩原裕雄著より
初代柏原家は熊本の加藤家の家臣だったが寛永期(1624から449)に京都に出て、京呉服や小間物類を扱う店舗を設けた。天和・貞享期(1681から88)に江戸進出したもくろみは、江戸の大消費人口を相手にした木綿を中心とする幅広い消費物資の販売にあった。上級武士や富裕な町人層などの客層獲得を老舗と争うよりも、膨張しつつあった一般消費者層をターゲットにした。「欲しい品物を取り揃えてやることが、客への真心じゃ」、そのころの「一業専心」の経営原則を捨て、思いきって多角経営、多店舗経営による「薄く広く」をモットーに、今の多種類の安価の商品を扱うというスーパーマーケット的な発想だった。
柏原家の本拠は京都で、江戸では木綿問屋・呉服問屋・小間物問屋を営んだほか、別名義の名前で塗物問屋、紙問屋も経営していた。
江戸と京都の飛脚便は並便(約25日)、幸便(10日)、仕立て(4日)のうちの仕立てを料金はたかいがこれを使うことを義務つけた。
豪商間の絆をふかめるため、三井、松坂屋と婚姻関係を結んだ。
江戸末期に他の豪商と同じく度重なる御用金の徴収、貸し倒れなどによって経営状態が悪化したが木綿がだめなら染物店や紙店でしのぐという多角経営で幕末を無事乗り切った。
柏原洋紙店として現在も東京と大阪で健在である。

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