2009年2月17日火曜日

戦争代理店④


おはようございます。③のシリーズでジム・ハーフの紹介が抜けていたようですので追記してあります。。この物語で外交とPRの苦労と真髄を覗き見た感じです。
このようなセンスは、本当に危機管理に無頓着な日本にも是非必要だとおもいました。
それだけに情報操作もされているなあとおもいます。イラクとの戦争開始のときにもそれは感じられます。


この物語は、ここでセルビア側が窮地に落ち入ってしまい、終わりと思っていたら、
1992年7月24日ユーゴスラビア連邦の新首相になったのは米国にあこがれ、亡命し、カルフォルニアに住んでいたセルビア出身のパニッチ(自転車の選手で、所持金200ドルであったが、ICN製薬という会社を興して、成功し国際的大企業に育て上げた。米国財界にも精通)だった。セルビア共和国のミロシェビッチ大統領が指名、日毎悪化するセルビアのイメージを挽回しボスニア・ヘルツゴビナ政府とのPR戦争に逆転勝利したがためだった。
彼は大慌てでプロのPRマンを探そうとした、米国籍のままに他国の新首相の件はその頃のブッシュ(父)大統領の了承をかろうじてうけたが、PR会社については経済制裁措置がすでにセルビアにたして行われていたので、引き受け手がいなかった。しかし在米のセルビア系住民の団体が独自にPRする方法を考え出した。そうしてハーフに対抗できるPR企業パウエル・テート社との契約がなった。しかしそのとき、「民族浄化」につぐ恐ろしいキーワードは「強制収容所」、それはナチスのイメージだった。
セルビア人がモスレム人を収容している「強制収容所」があり、そこでは8000人の非セルビア人が銃殺され、あるものは餓死しているという63歳の元囚人の顔写真と収容所の見取り図が添えられた記事が「ニューズディ」の一面に「死のキャンプ」という見出しで掲載された。
それがどんどん続報が集まってきてついには「合計45の強制収容所がセルビア人によって運営され、95万人以上が拷問されている」「すべては今世紀の初めにすでにヨーロッパで起きていることだ。それなのに、世界は何もしようとしないというのはどういうわけなんだ」という発言が掲載された。こうした記事は国連と米国議会の反セルビア決議案を練る作業に発展した。しかし取材クルーはオマルスカにいったがそこも衛生状態は悪く、拷問や殴打が行われているという証言もあったが、実物写真を撮影すべく、頑張ったが、「捕虜収容所」の概念にあてはまるものでしかなく、「強制収容所」に該当するような行為の証拠はどこかに隠されてしまったのかもしれないが見つけられなかった。それでも何とか見つけようという努力がなされていた。
ただ真夏の暑い時期であって上半身裸ですごしている人も多かった。その中でひどくやせている男性もおり、あばら骨が浮き出していた。記者とその男の間には有刺鉄線が張られていた。戦後の調査で分かったのだが、此の有刺鉄線は、閉じ込めるためのものではなく、紛争前からあったものだが、結果的には有刺鉄線の向こうにやせさらばえた男がいる構図の写真になっていた。この構図がきわめて重要意味を持った。この映像をアメリカ中の放送局や新聞、雑誌社が争うように購入した。そしてブッシュ大統領は「世界は二度とナチスの“強制収容所”という神を恐れぬ蛮行を許してはならない」とホワイトハウスの記者会見で話したことで完全に流れが決まってしまった。

しかしまだこのドラマには続きがあった。

戦争広告代理店:(情報操作とボスニア紛争)高木徹:講談社

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