2008年12月26日金曜日

裁判員制度のあやうさ


毎日マスコミで不可解な事件が報道されています。一週間前の事件がどういうものだったかさえも思い出せない位ですね。そうした中で、裁判員制度が始まると、一般有権者ですから、他に仕事を持っていたりすると、なかなかそんなに休めないので、審理が非常に短期間に行われる。すごく絞られて行われるということで、審理がズサンにならざるを得ない。そんなズサンな審理、短期間審理でそういった重大な判決が出さないといけないようになる。「これ、おかしいじゃないか。もう少し証人を呼んだり、いろんな物証を検証したり、もっと調べたらよいなどの事柄も当然でてくる。あるいはこれ以上にマスコミに訴えようといっても審理を外部に漏らしたら、今度は自分が逮捕されてしまうという恐れがないとも言いきれない。

この裁判員制度は、殺人とか強盗などとか、かなり重い罪に関して導入されている。今まで裁判の傍聴すらしたことがない人が、いきなり裁判官と一緒になって、ある人の運命を決める判決を出すことになる。もっと自分の身の回りで起きているような、万引きとか交通違反とか、特に市民感覚が生かされやすい事件でとりあえず、市民の方も慣れてきてから範囲を広げましょうという話ではない、軽い事件は今まで通り、裁判官がやるという、裁判を見たこともないような人達が集められて、これはもうどういうことになるのだろうかという。何故こんなにコンセンサスを得られないままこういう制度が生まれたのだろうか?後期高齢者医療の問題、障害者自立支援法などを見ると、国会でどういう審議が行われたかがお粗末だとしか言いようがないが、どの程度修正されるかもよく見えてこない。

キラキラ星通信(袴田巌さんを救う会)のジャーナリスト寺澤有さんの講演記事から

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