2008年12月15日月曜日

ある骨董屋の話


NHKドラマ「篤姫」が終わった。宮﨑あおいはの演技、鹿児島にいたころのヤンチャなころから、大奥を統べるまでの風格ある演技には毎回さぞかし

こういうことだったと思わせる自然な演技ですばらしものでした。天才だという人もいたが、言われてみればこれにも納得させられる。彼女自身も此の役をやって大いに励まされ

これからの人生の指針になったといっている。

ひところ横浜のほうから、私の画廊へよく偽物を持ち込んでくる行商スタイルの骨董屋があった。古い油絵の中から物故作家や誰かの作風に似たものを見つけて、それにその作家のサインを入れてくるという種類のもので、この骨董屋の背後に油絵に詳しい奴がいるに違いなかった。だれでも警戒してかかるようなものは、その男はやらない。駆け出しの画商では名前を聞いても知らないような、名前を聞いても作品は見たことがないというような作家、たとえば吉田博だとか、国吉康雄だとか、佐分真※1といった作家の作品を持ち込んでくる。数も見ている者でなければやれるはずがない。おそらく相当の年輩の古手の絵描きの仕業だろう。いつでも言い逃れできそうなT.KOBAYASHIというサインの絵を小林得三郎※2だといってきたりする。

ずいぶんとぼけた野郎だが、この骨董屋のくるのが楽しみだった。偽物はけっして跡を絶たないだろうし、いちいち腹を立てたらきりがない。この道に入ったからには、むしろ偽物と戦うのを楽しむべきだろう。それにこの骨董屋が持ってくるものが、全部が全部偽物というわけでもなかった。そこは先方の戦術であろうが、5回に一回位はほんとうにおもしろいものを持ってきた。私が一向にひっかからず、よいものだけ抜いてとるので、骨董屋はついに来なくなった。惜しいことをしたと思う。どうせそういうものだから、たたけばいくらでも安くする。時には偽物を承知で買ってやり、機嫌をとっておけばよかった。

 その骨董屋が松本俊介※3の「コスモス」を持ってきた。俊介が花を描いたことなどということは聞いたこともない。しかし堅牢な画膚の美しさはまぎれもなく俊介のもののである。私は確信して買い取った。後に俊介夫人にこの絵の話をした。彼がいちどだけ花を描いたことがあり、ある人がそれを全部買い取って大連に持って行ったはずという。その中の一枚らしいがなぜこの一枚が残ったのかは分からないという。

1佐分真http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/seisaku.php?AI=ART19970717

2小林得三郎「萬鐵五郎君の遺作記録(製作とその時代)」、萬淑子編『萬鐵五郎畫集』、平凡社、一九三一年、四頁。原精一、小倉忠夫(対談)「萬鐵五郎 土着した表現主義の先駆」、『美術手帖』第二〇九号、

3松本俊介http://www.odette.or.jp/kankou/bu_c_bi_ms_i/bu_c_bi_ms_i.html

おいてけぼり:洲之内徹:世界文化社より

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