江戸時代の薬で家康も大事に使っていた中国の宋の時代の処方による秘薬で現代でも売られているというお話です。
家康の手がけた万能薬「烏犀円」ウサイエン2008.12.14
小平市教育委員会 埋蔵文化財・民具担当学芸員 小川望氏の講演から
東京の西に小平市があり、新小金井街道という南北に走っている道沿いに鈴木小学校があり、ここ石器時代の遺跡があったが、その前に、これが分かった端緒は小学校の増設工事で敷地を整備していた時に、溝が出てきた。何かがあるということで工事業者が教員委員会に相談し。そこから国学院大の意見をもらったら、調査がすすむに従い、井戸3基が見つかった、さらには石器時代の遺跡があることも分かりました。ここは石神井川の源流であり、西東京市、練馬区、板橋区、北区(谷田川あるいは藍染川)を経て荒川までつながっている。
ここで「肥後 渡辺 烏犀圓」という直径4cm位の蓋のついた瀬戸物の厚さ0.8cm位の白い容器が見つかった。秀吉の臣下の宇喜多秀家の奥さんが重病を患い、曲瀬正琳という医師にかかり、見事に回復した。それで褒美として朝鮮で手にいれた「朝鮮版 和剤局方」※1を授けた。それが秀忠から健康第一の家康の元に。
※1は中国の宋時代の官製の医書で「和」とかいてあるが日本のことではなく、この烏犀圓(烏犀角は黒犀の角の効用は熱さまし、烏犀圓は高価な万能薬)の処方で現在久能山東照宮博物館にある。
江戸時代の3大秘薬:紫雪、耆婆萬病圓、烏犀圓
これらを物語風に話すことは難しいので理解した範囲内でお話します。
1) どういう所から見つかっているか
2) それらの情報をどのような仮定をたてたか
3) どのような手がかりから追っていったか
4) 得た手がかりをどうつなげていったか
このような疑問を抱えながら、謎解きをしているようです。
1)烏犀圓の容器の発掘例:東京の中央区明石町遺跡、
大分県府内城下町遺跡から、四山社製糸工場跡から、広島城外から、山口県萩城から、福岡県木屋瀬本陣跡、佐賀県年木谷3号窯跡、石川県八幡遺跡から、京都市同志社大学構内から
2)資料関係があるところは、彰考館徳川博物館(水戸市)、早稲田大学図書館である、その他一番充実しているのは内藤記念くすり博物館(岐阜県)※2であり、薬包、宣伝用絵ビラ、薬屋の看板でから謎解きの端緒をつかんだようです。
これらの情報も関係者との雑談から発展して情報のありかが分かった。
そのなかに肥後烏犀圓の薬屋の看板に、製薬本家 徳光屋 渡邉敬衛門(肥後熊本本塩町裏1番(新市場とおり)と小平市で発掘したものと一致した。これがいまでも売られているのです。
次回はこれらから分かった興味あることがらです。
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