西方面奥多摩の近くまで行ってきましたが、遠い山々が連なり自然の出迎えでした。遠出した時に、とあるお寺の掲示板で知ったので出かけました。
東京奥多摩の秋川仏教会の六十周年記念成道会(お釈迦さまのお悟りを祝う法要、ここでは75ケ寺が宗派を問わず、仏教に一致協力して住職と檀徒と一体になって励んでいるとのこと500人以上は出席されていたと思います。)で次の方・仙台の慈眼寺の塩沼亮潤住職も講演がありました。まことに清々しい塩沼住職・大阿舎利は昭和43年宮城県生まれ・62年に吉野山の金峰山で得度(お寺で生まれた訳ではないそうです)。平成3年大峯百日回峰満行。11年には吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行※1を果たす。12年には四無満行※2。18年には八千枚大護摩供満行。
※1吉野山の金峯山寺を午前零時に出発して24kmの大峯山1719mまで登り、帰ってくる道のりです。つまり往復48kmのコースを約16時間かけて毎年5月3日から年間4ケ月決められた120日を9年間毎日あるきます。この大峯山に登った人の話では、尾根伝いに登るときは、右足、左足の順序を考えて整えないと、立ち往生する険しい山だそうです。高低差は1300m。
比叡山の延暦寺では試みた人は数十人おられるそうですが、奈良県吉野山の金峯山寺では志した人は2名、満行したのも2名だそうです。修行で線香の灰が落ちる音さえ聞こえるという。
千日回峰行にはたった一つ掟があります。いったん入行したら途中止めることは絶対に許されません。どんなに高熱であろうと、足の骨を折ろうとも、です。止めるときは携帯している短刀で腹を切るか、腰に巻いている死出紐で首をくくるか、という命懸けの行です。
※2四無行は9日間の断食、断水、不眠、不臥を続ける行です。これは3人志して3人満行。(これが10日だったら死んでしまうといわれている、塩沼住職も何日かして死臭がすると言われた位だそうです)苦行というのは死んでしまっては意味がない。極限まで行き、「なるほどな」と気づいてそっから帰ってくることに意味があるのだ、と。そのような生き方をお釈迦様はお示しになられたのではないかという。会場でいただいた「致知」という雑誌の対談記録の中で、脳学者の茂木さんの話では修行僧の方々は、生命の輝きがとても強いように感じるし、永平寺の禅僧の南直哉さんをみて思い出したそうですが、厳しいスケジュールや質素な食事で毎日過ごしているにもかかわらず、皆さん、肌がきれいで内側から輝いている。睡眠、食事が満ち足りて安逸な生活を送る人よりも、生命力に漲っているというのはどういうことなのでしょう。塩沼住職がいわれるには、極限の行は別として、日々の修行は生活の原点に立ち返るものだと思うのです。朝起きる、勤行して、掃除する。ご飯をいただき、そして寝る。無駄のない生活ゆえに、精神も肉体もすべて自然に調ってくるのだと思いますと答えている。これは観念的にしかわかりませんが仏教界にも素晴らしい方が誕生しています。このような宗派を超えて集いは素晴らしいことだと思いました。
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