2008年11月25日火曜日

もう一押し


季節外れの話になりますが、ある学校図書館の司書が校長から七夕伝説について話をしてくれと言われた。

その頃、ちょうど生ゴミを埋めたところに芽を出した里芋があったので、植木鉢に入れて学校に持って行き、朝会で、七夕の朝、朝露を集めてそれで墨をすって短冊に願い事を書くと、願い事が叶うとか、字が上手になるとかそういう「いわれ」があることの素敵な紹介をした。では朝露を手取っとり早く集めるにはどうしたらよいか、それは里芋畑に行けばよいという話をした。そしてこの里芋の鉢を図書室の流し台の所においておいた。子供達に自由に水をかけさせて、表面張力で球になる様を見せた。これがことのほか好評だったという。

しかしこれでよいのでしょうか?里芋の葉で水が表面張力で球になることの面白さが分かったのはよいとして、朝露を手っ取るり早くというのがひっかかった。というのは朝露は朝早起きして庭の草むらや畑にでて必要な量といえば、硯の水いれに入るだけの量で良い筈で、鳥が鳴き出すころのすがすがしい気分を体内に取り込んで字を習うことに意義があるように思われる。子供たちも塾で大変だし、朝起きが苦手なのに配慮してのことかもしれないがもうちょっと踏み込んだ指導であってほしかったように思う。

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