自宅の前の通りの公孫樹並木も色ずいて来ました。並木の前にマンションがあるとまだ緑で、日当たりのよい方が黄色です。
また葉一枚をみると、外側からだんだん黄色になっているようです。
1970年代初頭、ハワイで椰子の実(以下ココナツ)が一万個余り集められ沖縄に送られた。」どのような経緯でそうなったか分からなかった。これを調査するプロジェクトが2004年に開始された。ハワイでの現地調査による聞き取りと若干の資料調査によって空白をひとつ、ひとつ埋めてゆく作業に取り掛かった。ココナツの採集は1971・2年にかけて行われている。オアフ島、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島の4島であった。この収集の中心的人物は日系2世三国輝夫氏(現94歳)の存在は共通の認識だった。「ココナツを集めない(あつめなさいよ)」という山口県出身の人をゆったり包み込むような言い回しが当時ココナツ集めに奔走した当時の」若者たちの耳に今でも新鮮に響いている。奈良県天理市の神殿で当時那覇分教会長の山口国三が戦争で荒廃した沖縄をヤシの木でハワイのような豊かな緑生しげれる島にしたいと祈願したものであった。お互いに山口氏と三国氏はお互い親交は全くなかったし、七月の時期に三国氏が参拝するために帰国することは考えられなかった。たまたま日本航空のボーイング747太平洋就航記念に招待されて来日ししていたのである。まさにそのことを山口氏は三国氏に依頼しようとしていた矢先だった。三国氏はどのような依頼にもこころよく「OK」と答え実現してゆく活動力と実行力に対して多方面から厚い信頼が寄せられていたという。
「あの方は何か余分に頼まれてもさせてもらうことが嬉しくなるような、そんな方です」とは三国氏を心の師と仰ぐ一老婦人の言葉があるそうです。
こうした経緯でココナッツの実は沖縄で発芽させて苗木にそだて、琉球戦場跡公園や主要道路の街路樹として、また学校とか公共施設に配って植え込まれたという。
しかしハワイは沖縄にとって外国であったために、植物検疫強制規定により、ヤシ科を含めた外来植物の帰化が許されなかったことが判明し、プロジェクトの中止も覚悟したが、けして山口国三氏は諦めなかったのが結実したのだそうです。
ハワイアンの方々が掲載された日系人向けの新聞にTheHonolulu Times2008.4.1の記事から収録。
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