2008年11月2日日曜日

馬のいとおしさ




昨日は東村山市の帰り道は空き地と高い建物がなのでワイドな夕焼けでした。

  また馬の話ですが、馬の感情の豊かさは想像以上でした。

キーストンという馬がいた。昭和40530日に第32回日本ダービーをものにした。日本競馬史に残る名馬の一頭だそうです。

騎手は山本正司が曰く、「もしキーストンのあの事故がなかったら僕は騎手をもっと長くやっていたでしょうね。」山本が回想する「気性が優しすぎる馬でした。ずるさが全くなかくて手抜きができない。調教のやりすぎでものすごく体重が減っていた。そこでダービー前には、練習を減らすことにした」

人間の意向によって、繊細な四肢をもつようにつくられてきたサラブレッドだが、なかでも、キーストンは際立って四肢が細く美しい馬だった。

運命のレースは、六歳の冬昭和421217日の阪神大賞典は五頭だて、芝3100mのコースだった。「使っていいものかどうか、オーナーや調教師は最後まで悩んでいたんです。前の骨折からの復帰で五戦四勝。一週間前の芝1900mのレースでも、悩んだものの一番人気を裏切らずラクラク逃げ切って勝ったので、それがやってみようという最終的な判断となった。」

キーストンは懸命に走り、二番手以下を八馬身もの差をつけていた。独走のままあと300mのところで山本は足元で鈍くポキッと鳴る音が聞こえて、次の瞬間山本の体はふわりと宙に浮いた。あとはしばらく彼の記憶が途絶え、気を失った、出走馬がほかに4頭しかなく、キーストンが二位以下を大きく離していたので、他の馬は彼を避けながら通り過ぎた。倒れたまま動かない騎手はどこかと必死に立ち上がろうともがく馬は、やっとよろめきながらも主人を探した。30m先にいる騎手を視界にとらえて少しづつ歩き始めた。馬はほとんど横転しそうな体勢でそれでも歩いた。ただキーストンは自分を愛してくれる主人の様子がかつてみたことのない状態で、これを気遣って前方へとひたむきに歩みを進めた。

キーストンは3本の脚で踏ん張り、長い首を下に折り曲げ、主人に鼻づらをこすりつけた。その行為は2度、3度繰り返されやがて山本は意識を取り戻した。

山本は両膝を芝についたままキーストンの長い顔を抱えた。このとき注視していた観衆が大きくざわめいた。キーストンの右脚の端っこが空中でむなしく揺れているのを見た。競走馬にとって脚は文字通り命である。救急車で運ばれた馬に(長時間横たわっているようには出来ていない。)残されているのは“安楽死”の処置をして激しい苦痛から解放してやることだけだった。

馬は誰のために走るか:木村幸治:祥伝社より

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