2008年11月9日日曜日

健闘している人々


健闘している人を見ていると、こちらもは励まされます。昨日は考古学同好会の月例会は東村山市にある「国立ハンセン病資料館」というところに行ってきました。

これはまた自分でも理解を深めてから報告したいと思います。

さざ波mooさんの2008年の1/15,1/17,2/1,4/21,9/11921も改めて読みなおしています。

11/8NHK1chの①2225、②1/90102つの番組

2225からのものはドキュメント現場、「もう一度学びたい」札幌遠友塾は片親になったため等により、義務教育も受けられなかった人達が、マンツーマンで授業を受けている風景。ひらがなも書けない、読めないから買い物も粉を買うにしても絵が描いてあるのを判読して買う。ス-パーの店員さんには聴く勇気もない。この人は小児麻痺で電動車イスで通っているひとでした。

何度かこの学級に溶け込めなくて、仲間の励ましなどもあって、このIさんの硬い表情が字を覚えるに従い、柔らかくなった。何年もかかってとうとう原稿用紙に200枚も書いてその発表の席は読む声も滞りがちであったが、うれし涙で生きていてよかったというものだった。

010のものは「不屈の者たちへ」毎週連続のものに思われる:江東区の工務店の社長が、発展ぶりを妬んだ誰かによって「経理状態が相当に悪化している」との根もない噂が流されて、倒産した社長の物語であった。債権者の説明会で懸命なお詫び「逃げもしません。自殺もしません」とビルのワンフロアーの自宅も引き払い、2DKの賃貸に引き取り手のない事務所のスチール棚が食器棚だった。

56歳だったので年令は1年オーバーだったが、なんとか頼みこんで近くのタクシー会社に就職した。就職して当初は平均日収5万円の7割の3万円がやっと、

半年後にはそれにも追いついて、工夫に工夫を重ねて10年後の今では10万円にもなっている。

タクシーで一番いやなのは、知り合いが乗るとかが卑屈になって嫌だった。がある日若い知り合い人が帰宅したらメールで「あんなに頑張っているのを拝見して感服しました。」これによって変な卑屈な気持ちは払拭した。

倒産直後、天ぷらと刺身、トイレットペーパー、5万円、お米20kgとか20人近くの励ましのカンパがよせられ、預金もない・借金もできない時に

大変ささえになった。これらの支えがなによりの財産ですと語っていた

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