2008年11月19日水曜日

ソーラン節踊り


ソーラン節踊りをみていて、にしん漁だから勇ましいのは確かですが、民謡を踊るのは盆踊りでの老若男女とか、慰問ならば、民謡好きな婦人達が集まってゆったり踊るのが普通なのに、どうしてこう活動的なのだろうかと思ってしらべたら、下記のような経緯がありました。荒れた学校をどうにかしようということから考えだされた踊りだったことがわかりました。

「夢は自分でつかめる。自分で動けば夢じゃなくなるって事を、子ども達に伝えたかった」

●北海道の代表的な民謡として全国に名高い『ソーラン節』の発祥は、積丹半島で粋網漁法が発明された安政3年(1856年)以後の事だと言われている。鰊(にしん)場になくてはならない作業唄で、昭和27年頃から全国に流行し始めた。そして、長い時を経た今から8年程前、日本最北端の稚内市にある南中学校は、校内暴力で「日本一荒れた学校」と報道されていた。当時の校長先生から請われた民謡歌手の伊藤多喜雄氏は、校内暴力をどうにかしようと、自分のロック・ソーラン節を生徒達に踊らせ、彼らに目標を持たせる事にした。そして、北九州を拠点に全国的に活躍していた舞踏家の「春日壽升」氏に、踊りの指導を依頼した。春日氏は稚内まで足を運び、約3か月の間、生徒と共にロック・ソーラン節の振りを考え、その指導に明け暮れた。こうして誕生した『南中ソーラン』は、「第9回日本民謡民舞大賞(平成4年)」で審査員奨励賞を受賞し、翌年には過去に例のない高得点で、見事にグランプリ(総理大臣賞)を受賞した。最北の風雪、カモメ、漁師、そして海峡の町(稚内)を力強く表現した『南中ソーラン』は、日本一の栄冠に輝き一躍注目を集めた。そして、南中再生の象徴となったのである。この様子は、「ドキュメンタリー人間劇場」(テレビ東京系)で描かれ、同じ監督による映画も製作された。

●「春日壽升」氏のコメント
「南中に教えに行った当初、私の様な外部の人間が教育現場に入るという事例がなかった為、校長先生の了承以外は受入体制の整っていない状況でした。そんな中、奔走して生徒を集めましたが、結局、卒業生や先生1人を含めた15名の混合グループとなりました。その中には、悪グループや一匹狼の手のつけられない男子、成績優秀な子など、様々なタイプの子どもがいて、実にまとまりのない集団でしたね。始めの1週間は、夕方5時から夜の9時まで、ご飯も食べさせずにずっと踊りを教えていました。これには、子ども達も堪えた様ですね(笑)。このロック・ソーラン節の振りは、子ども達と共に考えました。バスケットでドリブルしながら横歩きする動作や、網引きの動作など、子ども達の生活の中から見えてくる動きを振りに取り入れています。“荒れた学校ではあるけれど、踊りで日本一になろう”って言う意味を含め、天に向かって手を突き上げるんです。その瞬間、自分と自然とだけが向き合うんです。南中で、もし彼らの強い抵抗に合わなかったら、こんな強いソーラン節は出来なかったと思います。私は彼らに踊りを教えに行きましたが、反対に彼らから色々な事を教えられました。私は、彼らに出会った事で、初めて『人』にさせてもらった様な気がします。真の出会いってこういう事なんだなと思いました。」

●春日壽升(かすが じゅしょう):日本舞踏「春日流」の二代目

春日流宗家事務所
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