2009年11月10日火曜日
事件の被害者個人②
おはようございます。昨日の通信の豊田利明さん、山形県出身、当時56歳営団地下鉄社員の続きです。凄い人です。
駅員の仕事を次のように認識しているそうです。
常々家内には、「ただいま、といって帰れないこともあるかもしれないから、心しておくように」と言い渡してあるんです。仕事中に何が起こるかしれません。サリンを撒くとかそういうこともあるけれど、たとえば喧嘩で刃物を持ち出す人がいるかもしれない。また精神的におかしい人が、駅に立っている助役を突然後ろから線路に突き落とさないとも限らない。また爆発物がみつかったようなときに、部下に「お前行って取ってこい」とは言えませんよね。私の性格からして、そんなことはちょっと言えない。やはり自分で行かざるをえない。そのようなことは監督者勤務を始めた若いころからずっと考えていました。
オウムの報道もまず見ません。見なくても分かります。これは具体的にどういうことですか?
オウムみたいな人間たちが出てこざるを得なかった社会風土というものを、私は既にしっていたんです。日々の勤務でお客様と接しているうちに、それくらい自然にわかります。それはモラルの問題です。駅に「いると、人間の負の面、マイナスの面が本当によく見えるんです。たとえば私たちが塵とりと箒を持って駅の掃除をしていると、今掃き終えたところにひょいとタバコやごみを捨てる人がいるんです。自分に与えられた責任を果たすことより、他人の悪いところをみて自己主張するひとが多すぎます。
でもお客様から与えられたプラスの面もあります。始発電車でいつも挨拶を交わす50歳くらいのお客様が、私がしばらく休んでいたので、出社して顔を合わすまで、死んだかもしれないと思われていたらしいのです。「命があったということは、まだ生きて何かをやなくちゃいけないことがあるということですからね。しっかり頑張ってくださいよ」と言われました。
「そうですね。私もすべてのものに感謝しないとなりませんね。お互い頑張りましょう」と答えたそうです。憎しみは何も生み出しませんから。
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