2009年11月5日木曜日

骨董品




以前祖母からもらった百花園の命名者の酒井抱月のお多福の掛け軸を芸大勤務の人の紹介で、鑑定してもらった時、小生が広げようとしたら、制止された。一気に広げた瞬間の印象
で決めるということでした。印鑑もほとんど摩耗(人気作家はすり減っている)していない、描き方はその弟子であることは確かですという。それがわかってから飾ることをしていない。
鑑定せずに、楽しんでいればよかったのにとも思います。やはりどうも欲目があるようです。

ニセモノ師たち:中島誠之助:講談社より

骨董品:

世間一般の人々が骨董品に抱きがちなイメージとして「ニセモノ」とか「騙される」という第一印象を持つことが大変多いようです。
それだけ世の中には、ニセモノが氾濫し、なおかつ騙されたと思って被害者意識をもつ人が多いからではないでしょうか。
それはなぜだと思いますか。
それはいたってシンプルな論理しかありません。骨董の世界は「生産性のない社会」だからです。通常、資本主義社会は、いいものは大量に、なおかついかに安く供給できるかを競う生産体制の社会ですが、骨董の世界では、もしそれを生産するという行為があれば、それは即ニセモン誕生ということを意味します。このニセモノの品物に罪はなく、欲心、悪心をもった人間サイドに罪があります。生産することができない骨董品は一度火災などで失ってしまえば、二度と戻らない。
人間の欲がニセモノを生む。
著名な作品、ダビンチの「モナリザ」のような作品を模写するのも大事な勉強ですが、まじめな勉学であれば問題がないが、今度はそのコピーを本物と偽って売り買いする人が出現してしまうと、ニセモノの誕生となってしまう。「非常に優れたニセモノ」は「ホンモノ」と寸分違わない出来具合です。しかし目利きの目をもってコピー作品をみれば「よく出来ているが感動がわかない」ということになり、その新旧はたちまち見破られてしまいます。

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