2007年12月1日土曜日
日本民芸館
写真はゆんフリー
弓のお仲間が木工家具に励んでいて、その作品を日本民芸館に出品し、今回は残念ながら準入選であったが、展示されているというので、見学にいってきました。
その作品は和文机と引出でした。その他、陶器、織物、竹細工、漆器、籐細工などもありました。写真撮影はできませんでした。下記のhpをご覧ください。(京王井の頭線駒場東大前下車5分。周辺は駒場公園があって日本近代文学館や前田侯爵邸があり、住宅街も設計のすぐれた建物があり目を楽しませてくれます。)
http://www.mingeikan.or.jp/html/mingeikan-ten.html
中にはこれを職業としている人の作品もありましたが、純然たる趣味で出品されている方がほとんででした。準入選以上であれば、出品者が材料費など総合的に値段をつけて、さらに館が上の鑑定料も勘案して値札がはってある。
入館料は1000円ですが、陶器などは1050円の小壺、直径30cm中皿、で3000円、大皿で7000円からという具合で一般のひとでも購入できるものです。初日の23日にあらかた買い手がついたと思われます。織物の反物は100,000円からはするので、買い手はすぐにはつかないようです。2日でもう終わりですが、ここはもう来年になりますが、初日にゆくことをお勧めします。
センスのよいものが見つかる筈、コーヒー茶碗や湯飲みなど日常利用できるものが、
デパートなどでは手がでないものでも、ここなら手が出ます。見学がてら楽しい買い物ができます。
日本民芸館をご紹介しておきます。
歴史 ・ 思想 HISTORY & PHILOSOPHY
自刻像木喰明満 (1718-1810)江戸時代 1801年(享和元)高 75.5 cm × 幅 26 cm日本民藝館は、民藝美という美の認識の普及と、新しい生活工芸品の振興によって美の生活化を目指す民藝運動の本拠として、大正15年(1926年)に宗教哲学者の柳宗悦 (1889~1961) らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎氏をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、昭和11年(1936年)に東京・駒場の地に開設された。初代館長には柳宗悦が就任し、宗悦没後は濱田庄司、続いて柳宗理が館長(現名誉館長)を務め、現在は小林陽太郎が館長を務めている。「民藝」とは、「民衆的工芸」或いは「民間の工芸」の謂いであり、無名の職人達が民衆の日常生活の為に作った実用品を指す語として、大正14年(1925年)に柳と彼の同志である陶芸家の濱田や河井寛次郎によって作られた。彼らは、それまで美の対象として顧みられることのなかったそれら民藝品の中に、「健康な美」や「平常の美」といった、人間生活に欠かせない大切な美の相が豊かに示されていることを発見し、そこに最も正当な工芸の発達を見たのである。風土と伝統の力に護られ、自然の恵みを受けながら、虚心に仕事をする無名の職人の手になる作物には、時として芸術家が作り出す作品に勝とも劣らない美が宿るのであった。柳の主唱した「美の他力道」とも言える民藝美論は、従来にない新しい美意識を提示するもので、その工芸観は多くの共鳴者を生み、実用を離れた当時の工芸界の在り方に一石を投じるなど、日本の近代工芸に大きな流れを作っていったのである。当館が収蔵する日本及び外邦の新古工芸品は、柳宗悦の美思想を形成させた品々で、陶磁器・染織品・木漆工品・絵画・金工品・石工品・竹工品など各分野にわたり約 1万7千点 を数える。なかでも、丹波・唐津・伊万里・瀬戸の日本古陶磁、東北地方の被衣や刺子衣裳、アイヌ衣裳やアイヌ玉、大津絵、木喰仏、沖縄の陶器や染織品、李氏朝鮮王朝時代の陶磁器・絵画などの諸工芸品、英国の古陶スリップウェアなどは、質量ともに高い評価を受けている。また、民藝運動の同志として、民藝品から美の滋養を汲み取りながら、それぞれに新しい表現の道を拓いていった、バーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介、棟方志功ら個人作家の作品も数多く収蔵されている。なお、陳列には物の美しさを活かすように意が注がれており、館全体が統一された調和のある空間となるよう配慮されている。ちなみに、本館の建物は柳宗悦が自ら設計したもので、平成11年に国の有形文化財に登録された。
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