人生に運のよいときと悪いときがある。運のよいときは大ていうまくゆき運の悪いときは十分に用意をしてかかっても思いもかけないことから失敗しがちだ。
長篠合戦は織田信長が鉄砲という新兵器を多量に用いて大勝利を得、日本の戦術を一変させたということで、戦術史上で有名である。
信長は長篠城西方の有海ケ原の中間を北から南に流れる小川を前に三重に柵を結い、柵の内側に一万人の銃手から選抜した三千人の銃手を3段に配置し、かわるがわるに千挺ずつの銃を間断なく撃てるようにして、殺到する甲州の精騎が柵にせき止められ柵を破ろうとしてひしめくところを霞網にかかったツグミを撃ち取るようにした。ついに甲州勢に全滅にひとしい打撃をあたえたので、以後の歴史家の激賞するところである。
当時の火縄銃は先ごめ銃なので、雨が降ったら使えないのであるが、戦のあった天正3年(1575年)の5月21日は太陽暦でいうと7月9日だ。梅雨があけるか、あけないいかの時だ。現にこの前夜、織田・徳川の連合軍支隊が長篠城の東方にある鳶ケ巣山の砦を奇襲しておとしいれたのはしのつく豪雨を冒してであった。それがその翌日は梅雨があがって思うがままに火器を活用することができたというのは信長の幸運である。
史談「切捨て御免」海音寺潮五郎の武将雑感より
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