2007年12月9日日曜日

映画の現場から


写真素材より
東京経済大・マスメディアの現場から:榎戸耕史(エノキドコウジ)映画監督(桜美林大学映画学科教授)
●監督の職業:質問される仕事で、助監督・照明・カメラ・美術・音楽係などからこれはどうしたらよいかと問われたことに応えるが仕事。手に職があるわけではないが
このシーンではこの季節で俳優の演技を引き立てるにはこういうふうな花にしたいという雑学が必要。映画を沢山みるよりも、今自分がやっていることに充実感や疑問をもっていれば、それが映画を作る糧になる。
●答えるにはなんでも知りたい・知っていることが自分のプライドになる
貯めこんでおくだけでなく、どう伝えるかは頭で考えてでてくるものではなく、
人と会い、会話のやりとりから観察眼が生まれる。

●映画は映像・美術・音楽・小説・バレー・彫刻などを総合した芸術である:集約すれば「労働」「戦争」「不正(悪)」「孤独」「別離」「愛」「死」の7項目を表現する。これらを次の世代に自分達はどういきたかを継承してゆくことである。

●興行収益と映画の内容充実は両輪であるが、ハリウッドのようにマネーがパワーという経済が価値感を左右している。しかし豊かさだけが充実度ではないように良い意味での後戻りする傾向がでてきたのは喜ばしい。
●映画は他人の人生をともに過ごせる。耳・目をふさぐことはできないので、
視覚と聴覚に訴えるものは人間の記憶にとくに仕舞い込まれている。ショット・ショットを見せてそれぞれの情緒・情感を導くことである。そいうことは日常の中に溢れていることが環境問題などにもつながっている。現在は映像による情報が溢れすぎて、麻痺を起している。デジタル技術が加速度的に映像を増加させている。
●書かれている物語は勝者の物語が多く、これらの我田引水の嘘を見破る
●人生ということには人類が何千年の歴史を経ても、これっという答えはない。
又人間は物語を欲しがるものである。
●オールウエイズなど時代回帰があるが:誰でも抱えている問題はリアル過ぎて
みなに訴える物語にはならないし、今そういう際立った日常と非日常のある物語がないので昔のストーリーを利用している。
●映画ができて110年位経過している
●小津安二郎の映画もよいが畸形な部分がある。人間の良いところだけで、悪の表現がない。推薦する映画は成瀬己男監督の「浮雲」、「乱れる」・「流れる」。一番は清水宏監督の「蜂の巣の子ども」これは浮浪児のものがたりで小学生にみせればイジメはなくなるという位の映画であるそうです。
●映画自身で自分の映画の解説をする:情報をだすことによって映画の意図を伝達しようとの親切かに見えるが、余り深くや広い視野でみられると荒がみえてくるので、目立たないようにしようという情報操作である面がおおい。

0 件のコメント: